Australian Embassy Tokyo
在日オーストラリア大使館

ブルース・ミラー駐日オーストラリア大使 ABCラジオ・オーストラリア・インタビュー 「オーストラリア、福島県の児童に遊具を贈呈」

2012年04月20日
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インタビュアー: 数週間前、甚大な被害を及ぼした東日本大震災から1年が経過した日本の様子を描いた、大変に胸を打つドキュメンタリーを見ました。震災により近隣の原子力発電所でメルトダウンが生じたため、故郷からの避難を余儀なくされ、地元の友達との再会を果たすことができなくなった福島県の子ども達の姿を追ったドキュメンタリーで、大変に強く心を揺さぶられました。被災地では徐々にではありますが、子ども達のための復興が進みつつあります。本日は東京からブルース・ミラー駐日オーストラリア大使にご参加いただきます。ミラー大使、貴重なお時間をどうも有難うございます。

ミラー大使: ご一緒できて嬉しく思います。

インタビュアー: このような福島県の状況に対して、特別な支援を行なわれたとの談話を読みました。福島の子ども達に贈り物ができて嬉しいとのことでしたが、一体何を贈られたのですか?

ミラー大使: 新しい遊具をお贈りしたのです。すべり台やジャングルジムといったような、オーストラリアにあるような遊具です。福島原子力発電所近郊の自宅から家族と一緒に避難を余儀なくされた子ども達のために仮設された福島県内の幼稚園に、これらの遊具を贈呈しました。

インタビュアー: 子ども達の反応はいかがでしたか?先ほど、私は福島県の子ども達のドキュメンタリーを見たと言いましたけれども、被災地の子ども達の多くが未だに様々なことを思い起こしている訳です。彼らは実際の年齢より随分と大人びて見えましたが、実際に子ども達の姿をご覧になってどう思われましたか?

ミラー大使: そうですね、幼い子ども達が嬉しそうに新しい遊具を見ながら走りまわる姿を見ることができて、素晴らしいと思いました。言うまでもなく、子ども達はこれまで非常に大変な状況に見舞われてきました。昨年、突然、家族と共に別の場所へ移り住むことを余儀なくされた訳ですから。そして、新たに移った土地で、新しい学校や幼稚園、そしてそれに伴うすべての状況に、日々、向き合わなければならなくなったのです。率直に言えば、これまでに関わったこともない子ども達や遊具を前に、一緒に上手くやっていかねばならかった訳です。お分かりかと思いますが、子ども達はよそから移ってきた子ども達に対して時にきつい態度を取ることがありますからね。

インタビュアー: ええ、そうですね。

ミラー大使: ですから、新たに開園した仮設幼稚園に通う福島の避難児童のために、遊具を贈呈することが出来たことで、地元の必要性を満たす、実用的で理にかなった、とても良い贈り物ができたと思います。そして、ここではっきりと申し上げておきたいのは、私達がこれまで様々な被災地において行なってきた個々の支援活動は、地元の地方自治体や親御さんとの協議や話し合いを受け、地元の要望にそぐわないものではなく、必要とされる支援を行なってきたということです。

インタビュアー: 多くの人々は、きっと皆さん誰もがそうだと思いますけれども、自分たちの家へ戻るんだという希望を持っていらっしゃることでしょうね。ただ、実際には、どれくらいの人々が、気持ちを切り替えて進んでいく必要があるということを受け入れていらっしゃるのでしょうか?その辺のことについて、皆さん、何かおっしゃっていましたか?

ミラー大使: そうですね。地元の自治体の職員の方々や親御さんとお話をする中で分かったのは、自分たちの故郷にいつかは戻りたいという長期的な希望があるということです。多くの人々は、何世代にもわたって何百年という間、そこに暮らしていたわけですから。しかし一方で、それは来週や来月、来年ではないという諦めや現実の受け入れもあると思います。とはいえ、長い目で見て、その点を目指しているのは確かです。

インタビュアー: その他にもオーストラリアが日本と、政府当局あるいは福島県と共同で行っているプロジェクトや取り組みはありますか?

ミラー大使: 今お話した福島県での活動がそうですし、他にもまた、海岸線を上った所にある南三陸町という小さな町での活動も挙げてよいと思います。ここはジュリア・ギラード首相が昨年4月、震災の直後に初の海外首脳として訪れたところです。この町とオーストラリアは特別なつながりがあり、3週間前には南三陸町の中学生24名がゴールド・コーストを訪問するのに、オーストラリアは資金を提供しました。彼らの多くは、津波で家や家族を失った子供達です。私達に何ができるのか地元の自治体に尋ねたところ、子供達に未来への希望を与える、地域社会に持ち帰れるような何か違った経験を与えて欲しいという声が返ってきました。復興に取り組む上で、あなた達はひとりではない、世界が味方についていると感じて欲しいと彼らは考えたのです。といいますのも、まだ瓦礫がようやく集められ除去されたところで、復興と呼べる段階ではないのです。長い長い道のりが、被災された方々には待っています。南三陸町、福島県での活動の他にも、さらに北にある、同様に被害を受けた岩手県との間でも関係が生まれています。豪州食肉家畜生産者事業団(MLA)が、地元の肉牛生産農家との交流を熱心に行っています。これは大使館や政府としての支援というより、より広いオーストラリア人や組織企業全体としての取り組みです。例えばANZオーストラリア・ニュージーランド銀行は、南三陸町に生涯教育センターを建設していますし、MLAは実に素晴らしい仕事を農家の方々に対して行っています。

インタビュアー: 大使、簡単で構いませんが、MLAが実施している内容について、説明をお願いできますか?

ミラー大使: いくつかの例を挙げましょう。MLAは日本の肉牛生産者に干草を提供しました。なぜなら福島県では放射能で干草が汚染されたため、彼らはよそで調達する必要があったからです。また肉牛生産農家の方々や学生をわが国に呼び、気分転換を図ってもらうといった取り組みも行いました。これも重要ではないかと思います。また、ギラード首相は来日の際、教育支援プログラムを発表しましたが、これを通じ34名の日本人大学生が被災地よりオーストラリアへと留学しました。彼らは困難な状況の中でも、学究活動に励むと共に国際経験を培いました。

インタビュアー: 様々な分野で実に多くの取り組みが行われているのは、素晴らしいですね。本日はご出演のためにお時間を頂き、有難うございました。

ミラー大使: どういたしまして。有難うございました。

インタビュアー: 本日は東京より、ブルース・ミラー駐日オーストラリア大使にご出演頂きました。

 

インタビュー音声(英語)はこちら (Radio Australia)