スティーブン・チョーボー貿易・観光・投資大臣
2018年07月02日
東京
昨年行った初の日本公式訪問で、1957年日豪通商協定の署名60周年を祝うことができたのを嬉しく思いました。
しかし本日の式典で明らかなのは、本協定を日豪経済パートナーシップの始まりとみなすのは誤りであるという点です。貴重な国家記録の保管者であり、両国の歴史の重要な瞬間を保存してきた両組織による覚書署名に今立ち会うことができ、心から喜んでおります。
オーストラリアと日本の歴史家や公文書保管者は、こうした文書が伝える物語を活用してきました。
こうした文書や銀行取引明細、報告書、対象物、写真などに潜む物語から、日豪貿易の歴史が見えてきます。
ニュー・サウス・ウェールズ州政府は1902年という早い時期に、すでに極東担当の専任トレード・コミッショナーを任命し、神戸市に駐在させていました。
日本市場は1920年代、オーストラリアの輸出の7パーセントを占める程度でしたが、その後大恐慌という苦難にも関わらず、1930年代半ばには14パーセントへと倍増しました。
日豪の通商関係は活発で、いかなる基準で見ても前途洋々たるものでしたが、その後は無論第二次世界大戦により、大きな中断を余儀なくされました。
この時代に、こうした日系企業による交易の記録はオーストラリア政府に接収され、最終的に60年間、オーストラリア国立公文書館に所蔵されることになりました。
こうした記録の中には、初期のシドニーで、日本人のありのままの暮らしを写す写真があります。オーストラリアに駐在していた初期の日系企業社員が、いかにわが国の外の広さや太陽の日差しを楽しんでいたのかがわかります。
これはおなじみの話ですが、ピクニックは当時でも、人々が好むくつろぎ方だったようです。
またシドニーやブルームなど、至る所にあった日本人会の会員名簿が保管されていました。国際政治の展開にも関わらず、両国民の間に友情が育まれていた点を物語ります。
嬉しいことに、こうした友情の多くは今も存在します。
ちょうど昨夜、クラブ・オーストラリアの方々がオージー・バーベキューを六本木ヒルズで開いて下さいました。
驚くべきことに、オーストラリアとの貿易に従事してきた歴史のある日系企業の多くは、今日でもオーストラリア経済に著しい役割を果たしています。
オーストラリアでは、三井や三菱などの企業は誰もが知る存在です。
本日の式典でこうした企業、並びに他の多くの著名な日系企業の方々とご一緒できるのを光栄に思います。
皆様がこれまでに、また今後もオーストラリアに対して行って下さるご貢献に感謝申し上げます。
日本は現在オーストラリアにとり、商品の往復貿易額で、また輸出市場として世界第2位の存在です。
オーストラリア政府は日本とのパートナーシップを軽視しておらず、当然のものと受け止めている訳でもありません。
お互いの繁栄と安定のために、日本と協力することにコミットしています。
この度これらの記録を日本の皆様に寄贈致しますが、これまで60年間安全に保管し、本日あるべき場所にお返しできる点を誇りに思います。
こうした資料の存在は、両国における過去への認識であり、共に前進する深い友情の象徴です。