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在日オーストラリア大使館

ジュリー・ビショップ外務大臣 インド太平洋地域の変化と不確実性:戦略的課題と機会について

2017年03月13日

 

第28回IISSフラートン講演、シンガポール

ジュリー・ビショップ外務大臣

 

IISS(国際戦略研究所)が主催するこのイベントに参加でき、嬉しく思います。ハクスレー アジア所長に感謝申し上げます。本日はマラキ氏やリム前大臣等、名だたる方々がお見えになっています。

私たちは不確かな時代に生きています。第二次大戦後に発展したルールに基づく国際秩序を基盤とする多くの前提が、今ではより確実性を失っているようです。

グローバル化は、世界中何百万の人々に大きな繁栄をもたらしましたが、いくつかの国での保護主義的風潮の台頭に伴う試練に晒されています。

英国民による欧州連合離脱の決定は、20世紀に大陸で起きた2つの大戦の恐怖を繰り返すまいとの思いがもたらした、世界統合に対する大きな反駁でした。

ロシアのクリミア編入は、ヒトラーによるチェコスロバキア併合、1939年のポーランド侵攻以来、ヨーロッパの国境を引き直す初の試みでした。

不確実性と悲観主義の台頭という今の時期には、歴史が指南役となり得ます。

例えば、シンガポールの経験は教訓的です。

シンガポールは恐らく他の国々以上に、しばしば変化の風に晒され、国際情勢の浮き沈みを体験してきました。

議会が126−0の全会一致で賛成し、リー・クアン・ユー氏が涙ながらにマレーシア連邦からの衝撃的な分離を発表した1965年8月9日の重要性を、シンガポール国民は理解しておられます。

国家の独立記念日は通常祝うべきものですが、多くのシンガポール国民はこの時、祝福の感情よりも、自らの将来への不安と不確実性を感じました。

そのわずか9日後、オーストラリアはシンガポールの独立を最初に認めた国になりました。

オーストラリアは東西の海岸がおよそ4千キロ離れていますが、この幅が最も広い所でも50キロ以下という国土のシンガポールでは、国民一人当たりのGDPはかつてオーストラリアの4分の1、米国の7分の1以下でした。

工業化の初期において、天然資源が乏しく、飲料水の不足によりマレーシアから輸入する状況であったため、懐疑的な人々がいたのは確かです。

地域も国際社会も危うい状態にあり、状況の落ち着かない、不安な時代でした。

1965年、多くの場所で共産主義が優勢であり、イデオロギーとして機運が高まっていました。

東ヨーロッパは、ソビエト連邦による鉄のカーテンの影響下にありました。

アジアでは、共産主義が中国や北朝鮮、北ベトナムで根を張っていました。

ソビエト連邦と中国がお互いをライバル視する中、両国は西側諸国を共通の敵とみなし、東南アジアを味方にしようと考えていました。

こうした激動の不安定な10年間において、このいわゆる‘赤い点’が20世紀最後の四半期に、最終的にはアジア四小龍の一国になる、あるいは東アジアが今世紀、世界で最も経済的に活力ある地域になると予想する者は、ほとんどいなかったでしょう。

過去の出来事を振り返ると、あらゆる世代の人々は、自分達こそ大きな変化と不確実性の時代に入ろうとしており、歴史的に最も重要な時期のひとつを体験していると考えてきたことがわかります。

しかし、こうした確信が的を得ているのは時折です。

もちろん、技術的変化や政治の激変、あるいはその両方による大きな変革の時代はありました。

変化と不確実性は、常に私たちと共にあり続けるでしょう。

競争は絶えず存在し、絶え間なく続くものです。

あらゆる時代において、私たちの決定は自らをより良い場所に導くこともあれば、全く逆に、破滅的状況に導くこともあります。

つまりいかに変化の風に対応し、どのような道を競争のために選ぶのかが、私たちや他の人々の運命を最終的に決めるわけです。

課題については明確に認識すべき一方、インド太平洋地域の将来について楽観的でいられる理由が存在します。

私たちの地域は暗黒の日々を味わったものの、そこから大変上手く抜け出してきました。

私たちは変化を恐れるのでなく、受け入れるべきです。

過去の2〜3世代が目撃した技術発展のおかげで、経済のグローバル化が可能になった点を考えてみて下さい。

世界はより小さくなっています。

光速で世界中に大量の情報を送れるということは、瞬時のコミュニケーションが可能なのを意味します。

またクラウド技術により、世界のどこからでも、事実上あらゆる全ての蓄積された情報にアクセスできます。

ニューヨークやフランクフルト、東京、シンガポールの役員室でなされた決定は、世界の他地域に大きな影響をもたらします。

投資資金を有する者は、リターンを最大化するため、世界中のどの場所にもそれを預けることができます。こうした資本が歓迎されない場合、あるいは他所の方がより歓迎される場合は、即座にこれを引き揚げることが可能です。

彼らはロンドン、上海のコンピューター端末から、地球上のあらゆる片隅でほとんどすべてのものを買ったり、取引することができます。

輸送や物流、工学の発展、燃料効率の向上により、今や米国からアジアの全ての港に、スーパータンカーで小型小包を2.5セント程度で送ることが可能です。

世界のどこかにある機械は、世界中と即座に知的通信や協力活動を行うことができます。

個人の見方にもよりますが、こうした進展は畏怖の念、あるいは脅威を感じさせるものでもあります。

私たちの地域は技術的発展や変化に抵抗するどころか、こうした優れた進展を迅速な経済発展の手段として歓迎しましたし、現在もそうしています。

シンガポールや日本、韓国、台湾、マレーシア、タイは、全てこうした変化から恩恵を受けました。

20世紀、これらの国は世界のどの場所よりも安く、早く、より信頼できる形で輸出品を製造しました。

そして中国や、後にベトナム、インドネシア、バングラデシュがこの仲間に加わりました。

次はインドやミャンマーの番でしょう。

国民を貧困から抜け出させる志において、どの国も他国を妬むべきではありません。

一人当たりのGDPにおいて、日本は完全な主権回復を実現した1952年と比較して、185倍も繁栄を謳歌しています。

シンガポールも共和国となった1965年に比べて、100倍以上も豊かになっています。

中国は市場改革を受け入れた1978年以降、36倍豊かになっています。

これらは真の経済的奇跡です。

リー・クアン・ユー氏がシンガポール国民にマレーシアからの分離を告げた時、東アジアは世界GDPの14パーセントを占めるに過ぎませんでした。

この数字は現在、27パーセントになっています。

さらに2030年迄には、40パーセントに達する可能性があります。

私たちは人類の歴史でも、70年という期間で最も迅速に富の増大を実現させた地域に暮らしています。

この状況が続く可能性に対して私は楽観的ですが、一方で常に、大きな課題が今も存在するため、こうした考えが弱まるのを感じます。

輸出主導の成長モデルは大変優れていたため、インド太平洋地域のほぼ全ての国々はシンガポールや日本、中国などが成し遂げたことを経済で再現しようとしています。

ここで問題なのは、より古いモデルはかつてほど機能しないという点です。競争相手が増える一方で、製造業の性質が変化しているためです。

シンガポールが1960年代後半、輸出主導の道を開始した時、日本や韓国など同じ道に走ったアジアの国々の人口は、全体で1億5千万人ほどでした。

こうした国々が北米や西ヨーロッパなど、総人口が4億を超える先進国の消費者向けの製品を作ったのです。

今やこのバランスは逆転しており、将来の世代でもそうあり続けるでしょう。

世界中に数少ない先進国全体で、消費者が10億人程度なのに、東アジアの途上国だけで20億もの人々が、輸出市場の拡大を狙っているわけです。

これにインドを加えると、この数字はさらに片寄ります。

あまりに少ない数の消費者に対し、あまりに多くの国々と企業が、あまりにも多くの商品を製造しているのです。

輸出主導型を望む国の数に応じて、こうした経済モデルを支えようとすると、インド太平洋地域の中産階級の台頭をもってしても、世界の消費者需要不足を埋めることはできないでしょう。

ロボティックスやオートメーション、人工知能といった製造技術の発展に伴い、地域全体でその数が増える労働者たちは、減少中の、あるいは突如消滅するかもしれない仕事を求めて互いに競争を繰り広げるでしょう。

つまりグローバル化や技術の発展は、国家や企業同士の地域、世界レベルの競争を和らげるどころか、激化させる一方でしょう。

グローバル化や技術の発展は逆戻りできませんし、競争をなくすこともできません。

競争しなければ、他の者に遅れをとるのは紛れもない事実です。

したがって、どのような形で国家が競争の道を選ぶのかが、真に重要になります。

競争は人に対してと同様、国家における最良と最悪の要素を引き出し得ます。

より強力な国が隣国をいじめないよう、協調した国際努力がこれまで図られてきました。

‘力は正義なり’の考えが主流になると、人類が国際紛争という暗い道に引きずりこまれることは歴史が教えています。

強国が弱い国に自らの意思を押しつけると、弱者の側は常に、不公平な合意を強いられた点に怒りを覚えます。

これに対するより良い別のやり方には、これまで地域で上手く機能してきた、既存のルールに基づく秩序があります。

時代によって国家間の経済力順位の変化があるにせよ、この秩序は経済的奇跡を支えてきました。

ルールによる制度を受け入れる国は、そうでない国よりはるかに上手くやってきたのを示す、実に多くの証拠があります。

しかしながら、国家がルールに基づく秩序を過去の遺物として非難し、経済的または軍事的な影響力を時に使って既成概念を変えようとする結果、地域の秩序は圧力に晒されています。

自らに理のある事例については再度主張し、正当性をより強く打ち出す必要があるのは明らかです。

国力や富が変化する時でも、ルールに基づく秩序が安定を保証する理由のひとつに、こうした秩序はかつての勝者を有利に扱わないだけでなく、新参者の機会を制約しない点が挙げられます。

その基本原則は法による支配であり、富や国力に関係なく、政府や企業、個人は権利を享受し、義務を果たすというものです。

経済的競争が激しくなる世界においては、国家がルールを破るのではなく、これを遵守することがいっそう大切になります。

より競争力を高め、他の国々から見て魅力を増すような国内の改革に着手することで、国家は前進します。

かつて得たものを守るだけでは、長く栄えることはできません。

これはまさに、オーストラリアとシンガポールが、包括的戦略パートナーシップを締結、深化させた際に行ったことです。

教育水準の高い、熟練労働者間の協力や人と資本の移動自由化、最も優れたアイディアの商用化など、このパートナーシップは合意を通じ、両国の競争力をいっそう強化します。

技術や人の移動が、経済面での国家の垣根を取り払う時代に私たちは生きており、このような状況では、多くの抜本的な課題は国境を超えた協力でしか解決できません。

適応と繁栄を実現するには、協力しか道はないのです。

戦略的競争が激化する時代に平和や安定を保つことは、少なくとも経済的競争に対処するのと同じくらい大きな課題です。

戦略的競争が起きているのはかなりの部分、地域全体で富が劇的に増大しているためです。

さらなる繁栄への対処を考えられるのはきわめて有難いことであり、荒廃と貧困が何百万もの人々に不幸をもたらした、第二次世界大戦直後の時期とはきわめて対照的です。

とはいえ、より幸福な時期でも、複雑な要素は存在します。

繁栄が増進される時には、各国は自然と影響力を拡大し、増大する利益を守ろうとします。

2015−16年におけるアジアの軍事支出は5.5パーセント以上増え、世界全体の軍事費増加率である1パーセントを優に上回っています。

インド太平洋地域における軍事予算総額は、2020年までに6千億米ドルを上回り、初めて北米の規模に並ぶ見込みです。

勢力を増す国々は既存の領土や戦略面での境界線に異議を唱える、あるいは自らの政治的意思を他国に強いるために、新しい力を駆使するかもしれません。

こうなると緊張は避けられません。

こうした緊張がどの国も望まない、あるいはそうする余地のない紛争につながると、全ての国が重視する繁栄の増進に向けた機運が絶たれてしまいます。

戦略的環境もまた、第二次大戦後の数十年とは大きく異なります。

日本や韓国、東南アジアの虎と呼ばれる国々の台頭は、第二次大戦後、急ごしらえされた米国主導の同盟やパートナーシップの一部として実現しました。

実際、こうした国々は今日同様、米国の戦略的指導力を歓迎し、米国のプレゼンスを積極的に手助けしました。

米国に地域で戦略面での敵国がほとんど存在しない事実は、その指導力が何十年にもわたり、有益かつ建設的であったことを物語ります。

実のところ、例外がひとつあります。ならず者国家の北朝鮮です。

また、より最近では中国が経済のパートナー国として、及び米国などの国にとっての地政学的競争相手として頭角を現しています。

この点自体が、中国に自らの課題を突きつける形になっています。これは特に、南シナ海における東南アジアのいくつかの国と同様、中国も東・南シナ海の領有権を争うためです。

私はこの数週間に、マイク・ペンス副大統領やレックス・ティラーソン国務長官、マクマスター大統領補佐官(安全保障担当)といったドナルド・トランプ政権の要職者と会いました。

私たちは地域の課題についてきわめて詳細に話し合い、米国がインド太平洋地域により一層関与する建設的な方法について議論しました。

地域の国の多くは戦略面の動きを止めており、米国やその安全保障同盟国、パートナー国が、平和を維持するために何十年も行ってきた、活発で建設的な役割を引き続き担うことができるのか、様子を伺っています。

安定や繁栄が持続するには、米国がインド太平洋地域に欠かせない戦略面での大国として、より大きな役割を果たさなくてはなりません。

米国はそうできる独自の立場にあります。

アジアや国際社会において、米国は世界でかなり傑出した戦略的な力を有する国です。

この地域で、他国との領有権をめぐる紛争にも関わっていない国です。

インド太平洋地域に関し、米国は地理的に離れた大国で、軍事的資産の駐留については、インド太平洋諸国の合意に頼っています。また、単に狭義の国益を追求するのではなく、治安面での利益を地域に提供するために、その力と影響を用いるよう義務づけられています。

このことは、大国が地域でその力と影響をいかに行使するのか、熱心に様子を伺う多くの国に安心感を与えます。

重要な点ですが、米国内の政治体制や価値観は、私たちが維持、防御しようとする自由主義のルールに基づいた秩序を反映しています。

自由主義の価値や体制の重要性は軽視される、あるいは見過ごされるべきではありません。

中国のような民主主義でない国は、現在のシステムに参加し栄えることができますが、私たちが望む秩序の基本的な土台は、民主主義社会です。

交渉や妥協による国内の民主的習慣は、強力な国家が国際法やルールに沿って意見の不一致を解決する上で欠かせません。

経済的可能性への到達を考えるのであれば、民主主義や民主主義体制は国家にとって不可欠であることも、歴史が示すとおりです。

国際社会で裕福な高収入の先進経済国になるのに、‘中所得国の罠’を免れることができたのは民主主義の国だけです。例外は、石油に恵まれた数少ない中東諸国しかありません。

特権階級による支配ではなく、法の規則や軍への文民統制、独立した有能な裁判所、国家による収用や窃盗に対する財産・知的財産権の保護、商業・社会面での国家役割の限定といった自由民主主義体制は、今なお社会の安定や繁栄の条件です。なぜなら、これらは勢いのある革新的な民間部門を生み出すからです。

様々な国が政治改革につながるよう、自らの道を発見していくのが良いとはいえ、自由民主主義体制の受入れこそ、経済的繁栄や社会的安定を求める国の成功に、最も大切な基盤であるのは歴史が示すとおりです。

オーストラリアは自由主義のルールに基づく秩序を、積極的に強く支持しています。長期的で豊かな平和の継続は、この点にかかっているためです。

全体のGDPが2.5兆米ドルに達した今、ASEANには指導力を発揮する機会があります。

枠内の大国小国の利益を守る、ルールを基盤とした秩序への擁護を通じて、ASEANはこうした機会を生かすことができます。

ASEAN憲章では、民主主義は自らの基本的価値観のひとつと謳っており、インド太平洋全域における民主主義的規範と自由主義体制のために、率先した取り組みを行うよう加盟国に促したいと思います。

地域における規範の番人として、異なる考えや行動に走るかもしれない国に対し、集団的な外交圧力という形で道義的な力を発揮できることを、ASEANは決して過小評価すべきではありません。

2018年のASEAN・オーストラリア特別サミットの開催に際し、マルコム・ターンブル首相が全10カ国首脳のご参加を歓迎するのを嬉しく思います。本サミットは、シンガポールがASEAN議長国を務める年に開かれます。

ASEANは2017年に設立50周年を記念する組織であり、地域の平和と安定の維持を目的として発足しました。

この点は今も、不可欠かつ重要な使命であり続けています。

全ての世代が、変化や不確実性に直面します。

これらは否応なく、課題と機会の両方をもたらします。

インド太平洋地域の道のりは長いものです。

平和や安定、繁栄を続けるには、自由主義のルールに基づく秩序を維持、強化する以外にありません。

私たちは人口で見ると、共に小さな国です。しかし、熟練した労働力を有する革新的な先進経済国であり、世界への扉を開けています。

共にこの地域に強力な友人を有すると共に、その発言は敬意を持って受け止められています。

シンガポールとオーストラリアは協力を通じ、未来を形作る機会を有していると楽観視しています。