Australian Embassy Tokyo
在日オーストラリア大使館

ジュリー・ビショップ外務大臣 日豪通商協定60周年に寄せて

2017年04月19日

 

東京にて

 

岸副大臣、チョーボー大臣、国会議員の皆様、コート大使夫妻、日豪の友人である皆様

日豪通商協定60周年にあたる年に、ここ東京に戻ってくることができ、大変嬉しく思います。

1957年当時は、本協定を批判する声がありました。日豪貿易を正常化させる決定を行うには、勇気が必要でした。

当時のロバート・メンジス首相率いるオーストラリア政府と、岸信介首相率いる日本政府は、過去に制約されるのではなく、未来を見据える決意を固めていました。

本協定は後に、力強い日豪関係の礎となりました。

本協定は、重要な輸出市場、製造品の輸入先としての日本へのシフトに一定の形を与え、これを定着させました。

実際署名からわずか十年で、日本は英国にとって代わり、オーストラリアにとっての最大輸出市場となりました。

慎ましい呼び名を持つ日豪通商協定は、単に時代の草分け的存在であっただけではありません。本協定は、それ以降、東アジアが世界で最も経済的に活力ある地域として台頭するのを可能にした、見識ある考え方を示すものでした。

1957年協定が署名された時、東アジアとオーストラリアは、合わせて世界のGDPの約10パーセントを占めるに過ぎませんでした。

現在この地域は、世界のGDPのおよそ27パーセントを占めるに至っており、10年後には40パーセントに上昇する可能性があります。

国家間の貿易・投資は、単に経済成長についてだけではありません。

経済関係の強化は、ルールや国際法へのより大きな敬意と密接に関連します。これなしに国家間での信頼や透明性の確立は不可能です。

貿易・投資はまた、両国民のより良い相互理解を補完する役目を果たします。

現在の例で言うと、2014-17年という新コロンボ計画の最初の4年間において、約1500名のオーストラリア人学部生が日本に暮らし、勉学や就労体験に励む道を選びました。

これにより生涯続くであろう個人的な強い絆が、両国民の間で育まれています。

オーストラリアは日本との経済関係が深まるにつれ、地域についても日本ときわめて似た見方をするようになりました。

私たちは平和や安定、ルールを基盤とした自由主義的な秩序を、繁栄の継続に欠かせない要素として重視しています。

日豪両国は、こうした原則に同様にコミットしている米国を共に同盟国としているため、ごく自然にお互いを戦略面でのパートナーとみなすようになりました。

実際、両国は特別な戦略的パートナーシップを謳っており、日本は東アジアで最も緊密な安全保障上のパートナーとなっています。

未来に目を向けると、私たちは多くの課題に直面しています。3つの例を挙げれば、北朝鮮のふるまいとその脅威、平和的で国際法に則った海洋紛争の解決、開かれた市場と改革の継続を再度訴えることの必要性です。

マリース・ペイン国防大臣と私はこうした課題等を明日、ここ東京で開催される日豪外務・防衛閣僚協議(「2+2」)の席で日本の担当大臣と話し合います。

日豪が通商協定に署名した時、この二国間関係が最終的に到達する深さも、より広範な地域全体で起きた経済の奇跡についても想像することができませんでした。

しかし、将来のさらなる繁栄は保証されている訳ではなく、平和や安定も確かなものではありません。

このため両国は、今後60年間の道のりは遠く、共に協力して成すべきことが数多くあると認識しています。