Australian Embassy Tokyo
在日オーストラリア大使館

深まる文化の絆 オーストラリア人ジャズミュージシャンの2人が日本の音楽シーンに与えた影響

2023-6-7

日本在住のオーストラリア人ミュージシャンであるマーティ・ホロベックとマーティ・ヒックス。マーティ・ホロベックはアデレード出身で、2018年から日本に住んでいます。オーストラリアの音楽シーンで長年活躍後、東京に拠点を移し、SMTK、ROTH BART BARON、石橋英子、Answer to Remember、ジム・オルーク、日野皓正らと共演。さまざまな音楽プロジェクトでフリーランスとして活動を展開中です。

 

マーティ・ヒックスはメルボルン出身で、2015年から日本に在住しています。メルボルン大学(ビクトリアン・カレッジ・オブ・アーツ)のジャズピアノ専攻を卒業。2015年に文部科学省奨学生として来日し、東京藝術大学の修士課程で映画、アニメーション、各種メディアプロジェクトの作曲を専攻。ヒックスは現在、洗足学園音楽大学の音楽・音響デザインコースで講師を務める傍ら、フリーランスの作曲家およびサウンドデザイナーとしても活躍しています。

 

このインタビューで2人は、日本の音楽業界での経験や、東北地方のコミュニティ支援活動、そして日本で次世代の音楽アーティスト育成に情熱を注いでいる理由について語っています。

 

 

日本の音楽業界と克服した課題について

2015年と2018年に来日して以来、ヒックスとホロベックは日本のミュージシャンとのコラボレーションに多くの時間を費やしてきたが、困難も多かったようです。

 

お二人に質問ですが、現在進行中の音楽プロジェクトでは、日本のミュージシャンとも多くコラボレーションされているのでしょうか?

マーティ・ホロベック:そうですね。日本のミュージシャンとのコラボレーションは多いですし、日本に拠点を移したのも、それが理由のひとつです。元はと言えば、バンドのツアーでたまたま来日した際、日本のミュージシャンと共演する機会があり、そこから日本の音楽コミュニティとのつながりができました。

 

自分とはまったく異なるバックグラウンドを持つ日本のミュージシャンと一緒に仕事をすることは、気づきも多く、意義深い経験です。「音楽」という仕事を愛している同志とはいえ、最初のころは日本語でのコミュニケーションが取れませんでした。そのため、私は自分なりのコミュニケーション方法を見つけ、音楽の中でアイデアを展開するようになりました。こうしたコミュニケーションを楽しみながら、実践しています。日本の音楽コミュニティは特別だと感じていますし、参加できていることをうれしく思っています。

 

マーティ・ヒックス:私自身の経験で言うと、来日してからコラボレーションした相手は圧倒的に日本人が多いですね。演奏も時々していますが、私の音楽活動はどちらかというと作曲や他の人に提供する作品が中心で、一緒に仕事をしたデザイン会社や広告会社のほとんどは、日本のクライアントでした。

 

日本とオーストラリアでは、クライアントとのやり取りがまったく異なり、日本では良くも悪くも完璧を求めるところがあります。でも、日本の文化で特に好きなのは、「特注品」を追求する点です。日本には、職人文化が根付いていますね。

 

日本のクライアントと一緒にプロジェクトを進めていると、自分がデザインプロセスの一端を担っていると感じることがよくあります。自分の作っている音が、その製品が世間にどう受け止められるかに影響を与える。やりがいがあり、中途半端な気持ちではできないこと、というのが個人的な経験として感じていることです。

 

最初のころ、日本のミュージシャンとコミュニケーションを取ろうとする際に、どのように言葉の壁を乗り越えましたか?

マーティ・ホロベック:初期のころは不満も多かったですね。でも、時間をかけて言語を習得すれば、間違いなく役に立ちます。日本語がしゃべれることで、多くの道が開けますから。来日した当初は、なんとか音楽でアイデアを伝えていました。何かを実現したいとき、楽器で演奏してみせて「こうしてほしい」と伝えるわけですが、より深いレベルになると、語学力が本当に役に立ちました。

 

マーティ・ヒックス:言葉がわからなくても、日本人はその分もっと一生懸命に助けてくれると思います。

 

日本の音楽業界で直面した課題と、それをどのように克服したかを教えてください。

マーティ・ヒックス:音楽業界に限った話ではないかもしれませんが、オーストラリアでは、初めて会った人に、まるで以前から友達だったような感覚を覚えるという経験がよくあります。

 

しかし、日本人はその逆で、自分の周りに壁を築いていて、その解消は難しいように思います。何か大きな出来事があったり、一緒にいる時間が長かったりしないと、相手と個人的につながることはできません。

 

相手に対して礼儀正しくありたい、つまり相手が敬意を払われていると感じるような距離を保つという文化があるからでしょう。オーストラリア人の文化は、ある意味、その逆で人と対等に接することを大切にしていると思います。たとえば、カジュアルに接するほどいいと考えます。

 

マーティ・ホロベック:私が理解に苦しんだことで、特に印象的だったのは先輩・後輩の文化です。

 

オーストラリアでは、年齢とか関係なく、人として、また1人のミュージシャンとして評価されます。日本で、誰かがある人の音楽家としてのすばらしさを語っている場面に居合わせたことがあります。でも後になって、その人はその場にいた先輩を持ち上げていただけだったことがわかったのです。こうした先輩・後輩の文化が原因で、創作活動において壁にぶつかることが何度かありました。

 

マーティ・ヒックス:日本人の同僚に比べれば、先輩・後輩の上下関係を守らないなど、多少のことは大目に見てもらえるので、なじみやすい文化だと思います。と同時に、できるだけ敬意を払いたいと思っています。

 

若い世代への音楽教育について

マーティ・ヒックスとマーティ・ホロベックは、テレビ出演や指導、東北でのコミュニティ活動などを通じて、若い人たちに音楽を伝える活動を展開してきました。2人が深く関心を寄せているこのテーマに迫まります。

 

マーティ・ヒックスさんは洗足学園音楽大学の講師をされていますが、いつから教えていますか?また、この学校の特徴はどんなところでしょう?

私は2020年4月に同大学で働き始めたので、今年で4年目になります。日本を代表する音楽大学で、学生数も急増していますし、設備も最高級のものがそろっています。また、日本で初めてジャズコースを設置した大学でもあり、その点でも有名です。

 

卒業生はバンド活動や映画・テレビのための音楽制作に携わるなど、多方面で活躍するアーティストたちを数多く輩出してきました。私は音楽・音響デザインコースの講師で、基本的に私の専門である、映画やテレビなどさまざまなメディアのための音楽制作について教えています。

 

マーティ・ホロベックさんは、以前、日本の子供向けテレビ番組に出演されていましたが、どのような経緯で出演されることになったのですか?また、どのような経験をされましたか?

それが面白い話で、『ムジカ・ピッコリーノ』という、子供だけでなく大人も楽しめる番組でした。世界中のさまざまなジャンルの音楽を紹介し、その特徴を説明するという内容で。出演者の身びいきかもしれませんが、とてもいい番組でした。音楽の常識とされることだけでなく、音楽を学んでいないと知らないようなことまで取り上げてくれるのです。

 

番組のプロデューサーはオーストラリア大使館に「英語と日本語が堪能で、オーストラリア出身の人がほしい」と打診していたのに、日本に来てまだ1カ月の、言葉も通じない私が送り込まれたのです。

テレビ番組のオーディションを受けに来ないかと言われたとき、私は何も知らなかったし、NHKに出演することが大きなことだとも思っていませんでした。それで気軽に承諾したのですが、NHKに着いてから設備やスケールの大きさに圧倒されて、オーディションでは緊張してしまったんです。

 

でも信じられないことに、そのオーディションを突破し、2年間この番組に出演することになりました。テレビでの演技は初めてだったので、とてもいい経験になりましたし、短期間にたくさんのことを学びました。また、話せない言語での演技は、とても難しかったです。

 

番組を通じて、印象的な思い出はありますか?

印象に残っているのは、何と言ってもクリエイティブチームとの出会いだと思います。もちろん、出演キャストは日本の音楽シーンで活躍しているすばらしいミュージシャンたちですが、番組を制作しているクリエイティブチームからも、本当に刺激を受けました。彼らがどのように仕事をし、テーマやプロジェクトを設定し、創造性を刺激するような方法で演出しながらも、番組のフォーマットを厳格に守っているかを見て、とても感動しました。

 

お二人とも、若い人たちの音楽教育にかなり携わっていらっしゃいますね。それを大切にしているのは、なぜですか?

マーティ・ヒックス:今はミュージシャンにとって、やりにくい時代だと思います。特に新進気鋭のミュージシャンにとっては、波に乗るまでの時期がさらに困難なものになりつつあります。テクノロジーの進歩により、音楽そのもの、聴き方、作り方が、驚くほどのスピードで改善され、変化しています。今の教師は、生徒と同じように進化についていかなければならず、教師も生徒であるという点で、先人たちとは異なる経験をしているのではないでしょうか?年長の教師が経験的には多少有利な立場にあるとしても、はるかに進歩に慣れ親しんでいる生徒が多いと感じています。

 

将来の音楽のキャリアが見えない状態で、若い人たちに安心感を持たせるのは難しいこともあります。音楽制作への情熱を失ったり、経済的な理由で音楽を諦めてしまったりしないようにサポートするのは簡単ではありません。でも、音楽を作る喜びを追求していれば、キャリアは自然と開けてくるものです。それで、指導する際は、音楽を作る喜びを追求するよう励ますことに重点を置いています。

 

テクノロジーが急速に発展し、社会の大部分がオンライン化された今、若い世代は何でも瞬時に知りたがる傾向があります。授業で問題に直面しても、時間をかけて自分で解決することはまずありません。ちょっと調べて終わりか、ネットで解決策がすぐに見つかられなければ、諦めてしまいます。私の教育方法は基本的に、問題への取り組み方、解決策の候補、そして自己学習の重要性を提示することです。「他の人たちは、こんな風に作っている。同じようにすることもできるけど、まったく違うことをしたらどうなるだろう?」と生徒に問うことがよくありますね。音楽を追求する若い人たちと話していると、イノベーション、好奇心、実験こそが成功の鍵になると感じます。

 

マーティ・ホロベック:その点で言うと、私は父が音楽教育者でしたし、中学校から本当にすばらしい音楽プログラムに参加することができました。

 

私にとって音楽には、大きく分けて2つの魅力がありました。まず、音楽は創造性を解き放つ手段なので、すばらしい解放感が得られます。辛いときの逃避先、クリエイティブな自己表現手段、自力で作る自分だけの作品。私は音楽を通して、人生の問題に対処する方法について多くを学びました。

 

もう1つの魅力は、ヒックスが言った「学び方を学ぶこと」。音楽では、何かをできるようになりたいから、次のステップに進むにはどうしたらいいかを考えるという学習スキルが身につきます。優れた教師は、その一連のプロセスを生徒が体験できるよう、案内役を務めます。

 

しかし結局のところ、学び方を学ばなければなりません。パッと答えを調べて終わるようでは、自分を支える学びの土台を失ってしまう。特に音楽的な意味で、いろいろなことを試すための土台を、ですね。私は次の世代が、焦って結果を出そうとすることを心配しています。「学び方を学ぶ」ことは重要だと思います。

 

マーティ・ヒックス:利便性という障害ですよね。一見すると、すばらしいツールが手元にあることはいいことに思えますが、便利さによって失うものも多いと思います。学び方を学ぶ力が失われていくような気がします。障害を乗り越えることには、絶対に意味がありますね。

 

そして音楽の場合、重要なのは目立つことです。しかし、日本の教育では他のプロと同じような音を出すにはどうしたらいいかを学ぶこと、つまり「プロと肩を並べるにはどうしたらいいか」ということに重きが置かれています。メルボルンの大学から日本の大学に進学し、日本で教壇に立っていると、そのような光景をたくさん目にします。この音を出すにはどうしたらいいかというチュートリアルを見て、それでおしまい。何千人もの人がその音を出しているのですから、どうやって自分の音色を見つけるのでしょうか?自分の声を見つけるにはどうしたらいいのでしょうか?誰かから方法を教えてもらわずに、自分で克服すること。それが答えのような気がしています。

 

マーティ・ホロベック:YouTubeが始まったのは、私たちが10代のころです。それまでは、音楽を聴いたり、何か演奏を聴いたりすると、どうやってその音を出すかを自力で見つけなければなりませんでした。まったく違う方法でやっても、同じ結果になることもある。でも、そのおかげで、物事に対するアプローチの仕方が変わったと思います。

 

マーティ・ヒックス:刑務所の独房の鍵を何日もかけて開けるようなものです。最終日にやっと開けられたと思ったら、そのまま鉄格子をくぐり抜ければよかったのだと気づく。結果は同じでも、自分の中の何かが変わっているのです。

 

オーストラリア大使館と共同で進めた東北地方の支援

2018年からマーティ・ホロベックは東北地方の支援のため学校訪問活動を開始し、2020年からはマーティ・ヒックスもその活動に加わりました。この重要なプロジェクトに関わるようになった経緯や、日本のこの地域が特別である理由について2人が語ります。

 

オーストラリア大使館での活動や、東北プロジェクトの支援についてお聞かせください。どのような経緯で参加し、どのような活動をされてきたのでしょうか?

マーティ・ホロベック:2018年に移住してから、すぐに関わり始めました。ちょうどそのころ、オーストラリア大使館が東京ジャズフェスティバルと大きく関わっていて、オーストラリアのバンドが呼ばれて演奏していました。その翌週末に岩手ジャズフェスティバルがあって、私はそこでバンド演奏したのです。

 

というのが、ピアノ奏者とサックス奏者がいて、岩手まで行って、津波の被災地の学校でワークショップをすることになっていたのですが、そのピアノ奏者が柔術で足を骨折してしまった。私は日本に移住してきたばかりで、自由な時間がたくさんあったので、急遽岩手に一緒に行くことになったのです。

 

被災した学校や地域を訪れ、若い音楽家たちとワークショップをしたり、地域コンサートを開いたりしました。本当にわくわくする体験でした。被災地が壊滅的な被害を受け、その後に復興していく様子を目の当たりにしたことは、私にとって本当に意義深い経験でした。

ーティ・ヒックス:最初、私は学校訪問に参加していませんでした。オリジナルのジャズトリオで、岩手ジャズフェスティバルに出演していたのです。2020年になって初めて学校訪問をしたのですが、そのときには学校訪問の文化が定着していましたし、個人的にも大好きな取り組みです。

 

学校での演奏は特別な時間ですし、主催している実行委員会は献身的で一生懸命な人ばかりで、岩手の文化に多くの貢献をしています。岩手に行ってよく思うのですが、オーストラリアのジャズミュージシャンが地方の学校を訪問するなんて、ちょっと不思議なことです。生徒たちは私たちが誰なのかよく知りませんし、少しジャズを演奏して話をするだけなのですが、本当に楽しくて、みんなも喜んでくれます。

 

マーティ・ホロベック:定期的にやっているうちに、リズムができてきて、何がうまくいくか、何がうまくいかないかが、わかってきました。本当に楽しくて、いい経験になっています。

 

東北の震災から12年が経ちました。現地では今、どのような支援が必要だと思いますか?

マーティ・ホロベック:オーストラリアでは、生演奏を見たことのない子供たちのために、音楽家が地方の学校に行って演奏するプログラムがありますが、私にとってはそれが音楽の大切さを知るきっかけになりました。岩手や東北にもっと足を運び、過疎化した地域で演奏することができれば、すばらしいことだと思います。

 

子供たちにとって、生演奏の音楽に触れるのはとても興味深い経験です。私も幼少のころ、バンドが学校に来て目の前で演奏するのを見たことで、世界が広がったと思います。

 

マーティ・ヒックス:被災地はどこも復興に力を入れています。観光客に戻ってきてもらうために、その地域ならではの魅力や美点を継承することに、多くのエネルギーが注がれているのです。ホロベックの言うように、ジャズフェスティバルや文化イベントのようなものを開催するのもいいと思います。ミュージシャンが来るという貴重な音楽体験のおかげで、将来、日本の偉大なミュージシャンがその地域から出る可能性は十分にありますね。

東北を訪れたいと考えているオーストラリア人に向けて、東北のおすすめや魅力を教えてください。

マーティ・ヒックス:私は大の文学好きで、これまでずっと、岩手の文学的背景を満喫してきました。岩手県出身者には、宮沢賢治という有名な作家がいるのですが、彼の作品の中には岩手県の風景から着想を得たものも少なくありません。宮沢賢治が残した遺産が岩手にはあり、彼の小説をモチーフにした素敵な列車や路線もあります。

 

また、数々の民話や伝説が生まれたことから、東北地方は精霊のパワースポットとも言われています。私は民俗学が対象にするような、古くから伝わる風習・伝承に興味があるのですが、私にとって東北は民俗学的にも一大パワースポットであり、そこが面白いところでもあります。

 

マーティ・ホロベック:東北はすばらしい食べ物と自然にも恵まれています。海岸沿いの自然や砂浜、それに海と山の対比も魅力的です。特に海岸沿いのシーフードは最高。あの周辺に行くなら、ぜひおすすめします。

 

日豪関係と文化的な結びつきの強化

日豪には文化的・地理的な違いがあるものの、両国民間に強い絆があることを理解している2人が、来日するミュージシャンへのアドバイスや、さらに文化的な結びつきを強化するための考えをそれぞれ語ります。

 

地理的な距離や文化の違いがあるにもかかわらず、なぜオーストラリアと日本はこれほどまでに強い関係にあると思いますか?

 

マーティ・ホロベック:同じ島国ということが関係しているのでしょうね。それで、いくつかの類似点があるのかもしれません。

 

マーティ・ヒックス:不思議なことに、オーストラリア人と日本人は波長が合うような気がするんです。典型的なオーストラリア人の性格は、日本人の性格と相性がよいように感じます。真逆だからかもしれません。

 

マーティ・ホロベック:たぶん、謙虚さや控えめであることも関係があると思います。たとえば、アメリカに長く住んでいた日本人ミュージシャンがいて、その人とジャムセッションをやっていたときのことです。

 

ある晩、ステージから降りた私に彼が「君の演奏、めちゃくちゃよかった。すごかったよ!」と言いました。でも私は「うーん、ごめん。ちょっとミスしちゃった」と返しました。すると彼は「それ、あまりにも日本人すぎるよ」って。こうした謙虚さは、日豪共通だと感じます。

マーティ・ヒックス:私たちは真逆でありながら同じであるという、不思議なコントラストのある関係にあるのでしょうね。オーストラリア人であることを話すと、「オーストラリアで1年間生活してみたい」と言う友人が何人もいます。きっとオーストラリアの文化が日本の文化とは大きく異なり、仕事の文化もまったく違うので、それを経験してみたいのだと思います。そしてオーストラリア人の私からすると、日本の文化がオーストラリアと極端に違うので、それを経験するために日本に行く価値があると感じたわけです。

 

 

日本での公演を希望するオーストラリアのミュージシャンや、オーストラリアを訪れる日本のミュージシャンに対して、どのような提案をされますか?

マーティ・ヒックス:オーストラリアには、日本に来たいと思っている人がたくさんいます。ここ2、3年、日本行きが盛り上がっていて、日本でのツアーを希望するミュージシャンが増えています。

 

マーティ・ホロベック:来日ツアーを実現するには、いろいろなハードルがあります。技術的なアドバイスはさておき、日本のミュージシャンとコラボレーションしたいと思うなら、彼らの音楽をチェックしたり、ライブに足を運んだり、直接連絡を取ったりしてみるべきです。日本人は大抵フレンドリーだし、もし片言でも日本語を話せたり、話そうと努力したりするだけでも、快く受け入れてくれます。

 

マーティ・ヒックス:日本には多くの優れたミュージシャンがいますが、現在の世の中の状況では、大多数が音楽活動だけでは生活を維持できないのが現実です。会社員をしながら、余暇に音楽をやっている人も多いので、自分の音楽に興味を持ってもらったり、コラボレーションのオファーが来たりすると、それだけでうれしいものです。私の経験では、コラボレーションに前向きなミュージシャンはたくさんいます。ツアーを企画する話になることもありますが、運営面での課題など、多くの難題があり実現が難しい。国境を超えてお互いを認め合う文化は存在しています。

 

ただ、日本は経済的な理由で、簡単にライブやツアーを企画できない国です。それでも、特にオーストラリアからは、日本で演奏するために多少の損を覚悟で来てくれる人がたくさんいます。

 

マーティ・ホロベック:オーストラリアに行ってコラボレーションしたいという日本のミュージシャンについてですが、オーストラリアのミュージシャンの多くは、一緒に仕事をしたいとか、「あなたの大ファンです」とかいったメッセージを受け取ることに、かなりオープンな気がします。

 

マーティ・ヒックス:そうですね。多くのことがそうですが、結局はお金の問題だと思います。オーストラリアは物価がとても高い。活動を資金面で支えることは容易ではないとしても、そこから生まれる芸術的な成果を考えると、目的が手段を正当化します。こうした芸術的な成果がもたらす効果や文化的な豊かさには、資金を投じるだけの価値があるのです。

 

今後、日豪の音楽コラボレーションをさらに強化するために、どのようなサポートやインフラが必要だと思いますか?

マーティ・ホロベック:日本には芸術を愛する、とてもすばらしい風土があり、音楽活動を継続する上でプラスになります。インフラ面においても、オーストラリア大使館が携わってきた東北支援のプロジェクトや東京ジャズフェスティバルにおける交流など、よい方向に向かっていたと思います。新型コロナの影響で、こうした取り組みが滞ってしまいましたが。

 

私は、日本での活動を希望するアーティストを対象に、ビザ取得を日本政府が容易なものにできれば、諸々の改善につながると考えています。たとえば、ミュージシャンとして来日する際に行うチェックを受けずに、音楽興業ビザで来日して演奏できるようになれば、文化交流がさらに広がるでしょう。

 

現状、日本企業等の支援なしでは、ミュージシャンはなかなか来日できないのですよ。もしそれが変わったら、とてもすばらしいことだと思います。両方向から芸術をもっと後押ししてもらえたら最高ですね。

 

マーティ・ヒックス:アーティスト・イン・レジデンス以外にも、地方から人を招いたり、ツアーやワークショップを企画したりすること。

 

マーティ・ホロベック:それが、私たちが望むインフラです。

 

では、日本の観客がオーストラリアのジャズにもっと触れることには、どのようなメリットがあるのでしょうか?オーストラリアのジャズにはどんな特徴がありますか?

 

マーティ・ヒックス:日本にもオーストラリアにも言えることかもしれませんが、他の国の音楽を聴くことは、常に価値があることだと思います。

 

マーティ・ホロベック:ジャズは1920年代に誕生したアメリカの黒人音楽で、その後世界中に輸出されました。距離と時間の関係で、おそらくオーストラリアと日本には同時期に伝わっている。

 

日本もオーストラリアもこの芸術を受け継ぎ、独自の方法で発展させていったのです。それは、島国文化も関係しているかもしれません。このブラック・アメリカンの音楽を取り入れた2カ国が、それぞれの方向性で発展させ、どこにたどり着いたか、その類似点と相違点を見つけることは、私にとって非常に興味深いものです。

 

マーティ・ヒックス:ジャズのように、それ自体が再解釈や自己表現を必要とするものを、さらに自分たちのやり方で解釈しているのですから、面白いですね。

 

この質問が難しいのは、ジャズにおいて唯一不変なものは変化であるからです。枠にとらわれず、自由な表現ができるので、その表現をどこで、どんな文脈で行うかによって、できあがってくるものは違ってきます。

 

日本の即興音楽シーンは、日本でのジャズ解釈の産物で、その幅の広さにいつも魅了されてきました。


オーストラリアでは、オーストラリアのジャズサウンドについて時折議論が交わされてきました。いまだ明確な定義にたどり着いていないのですが、オーストラリア独特のサウンドやバイブスは存在します。

 

マーティ・ホロベック:1990年代から2000年代前半にかけて、私たちの上の世代、私たちの師匠、私たちが尊敬してきた人たちの間で、オーストラリアのジャズとは何か、オーストラリアのジャズを構成するものは何かについて議論されました。オーストラリアのジャズは、他の国のジャズとどう違うのか?ジャズの世界の中で、どのようにユニークなのか?こうした議論は、次の世代の私たちに受け継がれています。

 

オーストラリアの音楽をどう作るか時間をかけて考えた人たち、オーストラリアで外国の音楽を演奏し、その音楽の個性を突き詰めた人たちに感謝すべきです。本当に大切なことを考えてくれたと思います。

 

日本におけるライブハウスの現状

この3年間は、おそらく日本だけでなく、世界中の演奏家にとって、とりわけ激動の時代でした。マーティ・ホロベックが、パンデミックという困難の中で、どのように演奏活動を続けてきたかを語ります。
 

パンデミックのピークが過ぎた今、東京のライブハウスはどうなっているのでしょうか?また、日本でおすすめのライブハウスがあれば紹介してください。

 

マーティ・ホロベック:世界のどこの国でもそうですが、パンデミック初期に音楽業界は苦境に立たされました。私の場合、最初の2カ月ほど、活動を中止せざるを得なかったです。その後は次善の策として、すべてのライブがオンラインでストリーミングされるようになりました。また、その後、夜間を避ければライブができるようになり、午後9時までに終了すれば生演奏ができるようになりました。そこで、ライブをすべて中止するのではなく、開始時間を3時間早めて対応しました。

Photo:Kana Tarumi

 

私はとてもラッキーだったのかもしれませんが、活動は休止せず、ただ、新型コロナウイルス感染症対策ガイドラインのルールの範囲内で演奏し続けました。昨年から少しずつ元の日常に戻ってくると、2年間何もできなかったことへの反動から、突然、すべてのフェスティバルが開催され、ライブが毎晩行われるようになり、それがずっと今も続いている。すばらしいことだし、充実していて楽しいです。

 

日本でおすすめのライブハウスは、何を見たいかにもよりますが、ジャズだったら新宿ピットインが私のお気に入りです。クリエイティブな音楽を聴きたいのであれば、楽しい小さなバーが結構あります。No Room For Squaresというバーがあって、ここは楽しいですよ。

 

あと、ブルーノート東京やビルボードのような大きなところでは、有名なアーティストを見ることはできても、日本のアーティストを見ることはあまりない。日本に来るなら、日本で作られた音楽をたくさん体験したほうがいいと思います。

 

マーティ・ヒックス:京都には本当にいいライブハウスがたくさんあって、たとえば拾得(じっとく)というライブハウスがありますし、UrBANGUILDもあります。

 

東京では、神楽坂にある神楽音(かぐらね)という電子音楽をたくさん流している場所が好きです。下北沢のSpreadもかなりおすすめです。

 

マーティ・ホロベック:あと、名古屋の得三(とくぞう)は昔からある伝説的なブルース・ライブハウスで、毎晩朝の5時まで営業しています。名古屋から発信される音楽を聴ける、すばらしいライブハウスです。


Photo: Kana Tarumi

 

現在や今後のプロジェクト

日本のミュージシャンや企業とのコラボレーションで多忙な日々を送る2人ですが、今後、個人的に展開したいプロジェクトもあるようです。

 

現在、どのような音楽プロジェクトに取り組んでいますか?

マーティ・ヒックス:いくつか面白いプロジェクトを進めています。まず、日本のマンションほどの大きさの特注プライベートジムを立ち上げた会社と仕事をしています。そこではAIを使って、身体データなどをモニタリングし、60分の運動プログラムを自分でカスタマイズできます。まるでパーソナルトレーナーのような機械です。

 

非常に新しい試みなので、そのためのサウンドデザインと音楽が必要でした。ここ数カ月は、その音楽一式を書き続けています。

 

今取り組んでいる映画のプロジェクトもありますし、自分のオリジナル曲のプロジェクトもいくつかありますね。ホロベックと私は小さなバンドを組んでいて、そのための曲も書いています。そのバンドには松丸契さんという日本人のサックス奏者も参加しています。

 

マーティ・ホロベック:音楽活動を再開するにあたり、昨年は音楽面でかなりいろいろな出来事がありました。今年の初めに休暇を取ってから、再び活動を始めました。現在、国内外のさまざまなアーティストとのレコーディング・プロジェクトが進行中です。

 

今年は、日本の音楽業界で築いた人間関係を活かしつつ、もう少し自分の音楽に集中し、今年中に新しいアルバムかEPを制作して、世に出せるようにがんばりたいです。

 

今後、どのようなプロジェクトに携わっていきたいですか?

 

マーティ・ホロベック:自分が関わっているプロジェクトで、もっとたくさん曲を書いて、もっとたくさんレコーディングして、経済的に安定した方法で音楽をプロデュースしていきたいです。いくつかのプロジェクトに集中し、お金や時間の制約を気にすることなく、それに投資する時間ができればと願っています。

 

私の夢は、日本の田舎にスタジオを持つことです。そこでレコーディングや音楽制作を行い、ショーやツアーは都市で行う。できれば国際的にもツアーをしたいですね。

 

もうひとつ、最近考えているのは、オーストラリアと日本のミュージシャンのコラボレーションをどうやったら続けられるかということです。これまでにも、さまざまな人たちによる試みが行われてきました。私自身参加したものもありますし、他の人の活動も見てきましたが、持続させるのは本当に難しいことです。でも、それを実現する方法はあるはず。まだ具体的にはわかりませんが、それを実現させることができればと思っています。

 

マーティ・ヒックス:私にもいくつかドリーム・プロジェクトがあります。香り、空間、サウンド、そして音楽について、いろいろ考えています。私が個人的に作っている音楽は、ある種の香りと同じ波長なのです。香りと一緒に楽しめる音楽というか。だから、お香の会社や調香師とコラボレーションして、聴覚と嗅覚の両方を刺激する作品を作ってみたいです。

 

また、私は日本の伝統文化が好きで、伝統音楽家が参加する創作プロジェクトを数年前から進めています。現代音楽のテクニックを借り、それを伝統的な技法に使う、そんなことをたくさんしてきました。私が作る音楽は、生け花とも非常に相性がいい気がします。

 

今回インタビューしたマーティ・ホロベックとマーティ・ヒックスのアーティスト情報や楽曲の試聴については、こちらのリンク先(マーティ・ホロベック:https://www.martinholoubek.com/マーティ・ヒックス:http://www.martyhicks.com/)をご確認ください。

オーストラリアのこれまでの東北地方の復興支援についてはこちらをご覧ください。