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オーストラリアンフットボール選手兼指導者・榊道人さんに聞く-オーストラリアでの選手生活で学んだ「道を切り拓く感覚」

オーストラリアンフットボールをご存じでしょうか? サッカーともラグビーとも違うオーストラリア独自の球技で、現地にはAFL(Australian Football League)というプロリーグもあります。榊道人さんは、現地でオーストラリアンフットボールのセミプロ選手を経験していたことがあり、現在はAFL Japan(一般社団法人日本オーストラリアンフットボール協会)で、次世代の選手育成に力を入れています。AFLで活躍する日本人選手を輩出するのが夢という榊さんに、オーストラリアンフットボールから学んだことについて聞きました。

 

プレイヤーを続けながらオーストラリアンフットボールの普及活動を行う

Q 榊さんは現在もオーストラリアンフットボールの現役選手だと伺っています。現在の活動について、お聞かせください。

A 私は現在、AFL Japan(一般社団法人日本オーストラリアンフットボール協会)の普及育成担当として、プレイヤーの育成や協会メンバーのスキル講習などを行っています。もともと私は、早稲田大学在学中に、オーストラリアンフットボールと出会い、大学卒業後の2006年から2007年にかけて、本場オーストラリアの独立リーグでプレーを経験したことがあります。

その後、2008年に帰国し、AFL Japanの前身となる組織で、本格的にオーストラリアンフットボールの普及活動をスタートしました。現在もプレイヤーを続けながら、スポーツ体験イベントや講演を通して、オーストラリアンフットボールの魅力を伝えています。

現在は子ども向けにオーストラリアンフットボール教室を行っている

 

Q 改めて、オーストラリアンフットボールとはどのようなスポーツなのか教えてください。

A オーストラリアンフットボールは、サッカーとラグビーを合わせたようなオーストラリアで独自に発展したスポーツです。楕円形のボールを使って、楕円形のグラウンドで行います。1チーム18人、計36人の選手でぶつかり合う迫力あるシーンが特徴です。フォワードとか中盤とかディフェンスみたいなさまざまなポジションがあって、身長が低い選手も役割を見つけることができます。現地では、「フッティー」「オージールールズ」などと呼ばれ、オーストラリアで最も人気のある競技のひとつといえます。

計36人の選手がぶつかり合う迫力が醍醐味

 

サッカーのオフサイドのようなルールはなく、ボールをパンチするハンドパス、もしくはキックによってボールを敵陣に運びます。グラウンドの両端に立っている4本のポールのうち、中央2本の間にボールを蹴り込むと6点、外側2本の間に蹴り込むと「ビハインド」と言って1点得点することができます。ゲームは1クオーター20分で、4クオーターの合計点を競い合います。

もともとは、イギリス発祥のスポーツである「クリケット」の選手がオフシーズンである冬季にトレーニングとして始めたのがルーツだと言われています。そのため、現在もオーストラリアの冬のシーズンに全土でオーストラリアンフットボールの試合が行われています。また、今でもクリケットとオーストラリアンフットボールを草野球的に両方やっている人が多いですね。

オーストラリアンフットボールの楕円形グラウンド

 

日本にもリーグが発足して、国際大会に出場した時期も

Q 日本では、どのような経緯でオーストラリアンフットボールが広がっていったのでしょう?

A 日本に初めてオーストラリアンフットボールが上陸したのは、1986年のことです。当時、フジテレビが、オーストラリアで人気絶頂だったホーソン・ホークスカールトン・ブルーズというチームを誘致して横浜スタジアムで試合を行って、25,000人の観客を集めたんです。この興業が成功したことで、翌年もということになって、ここで慶應義塾大学と早稲田大学の学生が前座の試合をしました。そこから国内の大学にもオーストラリアンフットボールのチームが発足し、2000年代には、学生のリーグ戦が行われていました。私もこの頃、早稲田大学でプレーしていました。

その後、日本にもリーグが発足して、国際大会に出場した時期もありました。現在は、関東5クラブ、関西1クラブの計6クラブに180名ほどが選手登録しています。月2回のリーグ戦が行われていて、2023年も12月に決勝戦を行いました。

 

Q 現在プレーしている人たちは、どのようなきっかけでオーストラリアンフットボールを始めるケースが多いですか?

A 私の教室に通っている子どもたちでいうと運動したいけれど、ちょっと苦手意識がある子が多いかもしれないですね。というのも日本でサッカーなんかを本気でやろうとするとかなり細かく指導されることが多いですよね。そうすると好き勝手やりたい子がどうしても活躍できなくなりがちです。

その点、オーストラリアンフットボールは自由度が高いスポーツなので、とにかく好き勝手に身体を動かしたい子に向いていますね。ある種、手を使えるサッカーみたいな感じなので。子ども向けのルールはタックルもないし、安全です。私は指導者としてAFLの講習も受けているのですが、向こうの指導っていうのは、子どもの頃から「こうしろ」と押し付けるのはナンセンスなんです。とにかく自由にやらせるのが基本的な方針。なので、日本のサッカークラブで、トラップの仕方から細かく指導しているのを見るとオーストラリアとの違いを感じますね。

 

オーストラリアって、とにかくスポーツが盛んなので、いい意味で下手でもスポーツを楽しめる環境があるんです。日本だと水泳やジョギングなどの個人スポーツはよくてもチームスポーツだと不得意な種目になかなか近づけない雰囲気ってありますよね。その点、オーストラリアでは、小さい子がスポーツをするときに上手い・下手で分けたりしないし、スポーツが苦手な人も身体を動かすのは権利だと思って楽しんでいる。少し脱線しましたが、どんな人でも自由に楽しめるのが、オーストラリアンフットボールの魅力だと思っています。

 

「こんなスポーツがあるのか!って驚いた」

Q 榊さんは、大学時代にオーストラリアンフットボールとの出会ったと伺いました。詳しく聞かせてください。

A 私がオーストラリアンフットボールを知ったのは、早稲田大学入学時のサークル勧誘のときでした。そこで初めてAFLの映像を見て、こんなスポーツがあるのかって驚いたのをよく覚えています。競技自体をまったく知らなかったので、プレーの自由度や選択肢の多さに魅力を感じて、ちょっと挑戦してみようかなと思いました。

オーストラリアでは誰もが知る国民的スポーツ

 

それまで小学校、中学校ではサッカーをやっていて、高校はボート部でインターハイ出場を経験しました。とにかく3年間、部活一色の生活だったので、大学ではキャンパスライフを楽しみたいと思っていたんです。でもAFLの映像で、現地のオーストラリア人たちが熱狂している姿を見て、なにか自分の世界の狭さみたいなものを感じたんですよね。まだまだ他にもエキサイティングなスポーツはあるんだ!って。

実際、高校卒業後にちょっとアルバイトをしていたような時期もあったのですが、期待していたような満足度は得られなくて……。それでやはりスポーツだと思ったわけです。大学でみんなが始めるスポーツということで、可能性を感じましたね。

 

Q 学生時代は、オーストラリアンフットボールの選手として、オーストラリアとの接点はありましたか?

A そうですね。当時は、1年に1回、遠征ということでメルボルンに行っていたのと、2年に1回、アラフラゲームスという大会があって、ダーウィンに行っていました。メルボルンとダーウィンはぜんぜん雰囲気も違っていて、それぞれ刺激がありました。

私は幼い頃に、父親の仕事の都合で、5年ほどインドネシアに住んでいたことがあったのですが、高校を卒業するまで欧米圏の国には行ったことがなかったんです。なので、メルボルンのイギリス風の街並みを見たときには感動しましたね。

ただ、自分たちが泊まっていたのは、激安ボロボロのバックパッカー宿でした(笑)。世界大会のときは、少しいいホテルに泊まれましたが、その前後は安宿生活……。寒いなか水シャワーしか出ないなんてときもありました。今ではそれもいい思い出です。

 

Q オーストラリア遠征で、英語の問題はありせんでしたか?

A 問題ありました(笑)。実は、高校時代から英語が苦手で、聞く分にはいいのですが、自分の意思を伝えるのには苦労しましたね。ただ、街中だとショッピングをするくらいはできるし、オーストラリアンフットボールのユニフォームを着て歩いていると声をかけてもらえたりもするので、だんだん自信がついていきましたね。メルボルンでは、「コンニチハ」なんて、声をかけてもらえることもあって、それはうれしかったですね。

 

AFLのプロ入りを目指す選手たちのキャンプに参加

Q 早稲田大学のチームでプレーしていた榊さんは、卒業後、AFLのチームに所属されます。そこに至る経緯を詳しく教えてください。

A まず、私が大学に入学した2002年に、オーストラリアンフットボールのインターナショナルカップという世界大会が初めて開催されたんです。これは、オーストラリアだけでなく、もっと世界に競技を広げて行く目的で行われたもので、そのときに日本代表のサムライズも参加しました。

日本代表「サムライズ」時代の榊さん

 

このインターナショナルカップは、3年に1度開催されていて、大学4年生のときに、また周期が回ってきて、私も選手としてオーストラリアに遠征しました。すると現地で、AFLのプロチーム入りを目指す選手たちのAIS(The Australian Institute of Sport)で行われるキャンプに参加しないかと誘われて……。これはチャンスだと思って、招待を受けた先輩と2人で参加することにしました。

基本的にプロ入りを目指す現地の高校を卒業したばかりの若者が参加するキャンプなので、私たち外国勢はちょっと年上なんです。そういう高校の合宿みたいな環境に英語がよくわからないまま放り込まれた感じでした。

小柄な身体で他国の選手と渡り合う榊さん

 

キャンプでは座学の講義もあって、メディア向けのトレーニングとかもあるんです。実際にカメラを回して、英語でインタビューに答える練習をするわけです。そこで、英語が十分に話せないから現地の若者たちに散々笑われて……。ただそこで、オーストラリア独特のイジり方というか、ユーモアのセンスみたいなものを学んだ気がしますね。

 

Q 現地で声がかかるということは、日本代表チームでもかなり活躍されていたのですね。

A 大学1年生の頃は、まったく試合に出られませんでしたが、2年次以降はレギュラーで出場して、日本代表になることもできました。日本のチーム自体はそれほど強くはなかったのですが、そこでBOG(Best of Ground)っていうMVPみたいなのに選んでいただくこともありましたね。当時、私はローバーっていう中盤近くのポジションでプレーしていました。大学4年次に参加したエッセンドン・ボンバーズのキャンプは、本当にいい経験になりました。本場AFLの選手と一緒に、一流の環境でトレーニングできたのは貴重でしたね。

AFLエッセンドン・ボンバーズのプレシーズンキャンプにて

 

地域の独立リーグでプレーする道を選ぶ

Q 榊さんは、キャンプ後に独立リーグのチームに所属することになります。

A もちろんAFLのチームとプロ契約したかったのですが、そこには至らず、地域の独立リーグでプレーする道を選びました。オーストラリアで本気でプレーしたみたいという気持ちがあったので、現地に残る選択をしました。とにかくオーストラリアでは、すごい人気のスポーツでしたし、そこで日本人でもできるっていうのを証明したいっていう想いはかなり強かったですね。

オーストラリアでは、計2年間プレーしたのですが、1シーズン目はウォドンガ・レイダースというチームで過ごしました。契約といっても1試合いくらみたいな条件で、監督から直接金額を提示されるような感じで……2軍に落ちると報酬はなくなります。そこはシビアでしたね。

ウォドンガ・レイダースで活躍していた当時の写真

 

ビクトリア州とニューサウスウェールズ州の州境にあたる場所の独立リーグで、事前にわかってはいたものの、想像以上に田舎での生活でした。ウォドンガというのが、その当時でもアジア系の家庭が2〜3軒くらいしかないような町で、日本人は珍しがられました。

 

Q 当時の思い出に残るエピソードはありますか?

A 自分でリクエストしないと道は拓かれないことを思い知りましたね。まず、住居などの環境がまったく整っていないので、チームの選手の家にホームステイしろと言われたのですが、やはりそれも長期間は厳しいですよね。ホームステイ先の選手も同世代の若者ですし、当然お互いに気を遣うわけです。

そこで、自分で部屋を探すのですが、外国人にはなかなか貸してもらえない……。そこで、チームメイトにサポートしてもらって、やっと部屋を見つけることができました。仕事もいくつか紹介してもらいました。特に募集はなかったのですが、地域の学校の日本語アシスタントをしたいと頼んだら、翌日に訪れたら職員室に椅子を用意してくれていたこともありました。話の展開が早くて、困っている日本人がいるからなんとかしようと周囲が動いてくれるやさしさに助けられましたね。

 

Q その当時はどのような1日を過ごしていましたか?

A ビザの関係で給料は出ないのですが、朝から夕方くらいまでは地域の学校で日本語アシスタントの仕事をしていました。まず、早朝トレーニングをして、学校に行って、夕方からトレーニングをするか、クラブの練習に参加する生活でしたね。クラブの練習は火曜と木曜で、それ以外は自主トレという感じでした。朝は5時起きでまずジムに行って汗を流して、ジャグジーに入るのが好きだったのですが、なんだか日本人は風呂が好きだなぁとかまわりから思われていたと思います。

当時のことで思い出すのは、毎週木曜日のクラブディナーですね。この日は、10ドル払うとクラブハウスの豪華なビュッフェが食べられるんです。そこでチームメイトといろいろな会話をして、親睦を深めましたね。現地では自炊の生活だったので、誰かがつくってくれる食事が単純にすごくおいしく感じたのもあったと思います。

ただ、所属していた2006年のシーズンは、ウォドンガ・レイダースの成績がいまひとつで、監督は随分叩かれていましたね。成績が悪いときは、ファンからの風当たりも冷たくて、厳しいときもありました。また、田舎の独立リーグならではの苦労も経験しました。それは、試合に行くときの移動です。アウェイの試合になると片道80キロくらい、自分で運転していくのが当たり前なんです。ひとりで誰もいない山道を走っているとだんだん不安になったりして……。これも国土が広大なオーストラリアならではのエピソードですね。

 

2シーズン目はメルボルン近くの都市部のチームに所属

Q その後、2007年は別のチームでプレーなさっていたようですね。

A はい。オーストラリアでの2シーズン目は、ウォドンガ・レイダースを離れて、Southern Football LeagueヘザートンFCでプレーしました。こちらはメルボルン近くの都市部のチームで、まったく環境は変わりました。

都市部のチームを選んだのには理由がありました。それは、AFLの本部と近かったから。この時期は、AFLの本部と連絡を取り合いながら研修を受けて、アンパイア資格とコーチの資格を取得しました。もちろん選手として、チームに所属して、試合にも出場しながらです。

その当時は、日本人の方にフットボールを教えたり、公式ルールを日本語に翻訳したりもしていましたね。翌年には日本に帰国して、本格的にAFLを日本に普及させるための活動を始めるのですが、少しずつその準備をスタートしていたことになります。

 

Q オーストラリアでの選手時代は、どのような休日を過ごしていましたか?

A 休日はドライブを楽しんでいましたね。オーストラリアは日本と比べると都市がコンパクトなので、少し車を走らせるとすぐに大自然の中に行けるんです。景色も壮大だし、本当に気持ちよかったですね。私はお酒が飲めないのですが、ワイナリーに連れて行ってもらって、そこのレストランがおいしかったのをよく覚えています。オリーブ園なんかも併設されていて、随分おしゃれなところに来たな〜なんて思っていました。これはメルボルン近郊に住んでいた頃です。

2007年頃というのは、現在と比べるとオーストラリアの物価もまだまだ安くて、食材などは日本よりも手頃でした。贅沢しなければ、生活できるなと思っていましたね。現地での2シーズン目もかなり収入は少なかったので、助かりました。今はすっかり物価も上がってしまって、当時とは随分感覚が違いますね。

 

帰国後の2011年にAFL Japanを設立

Q そして、帰国後の2008年から本格的にAFLの日本での普及活動をスタートされます。

A 当時、国内には日本オーストラリアンフットボール協会という任意団体があったのですが、まだ法人化はしていなかったんです。そこで、私ともうひとりの選手がオーストラリアから帰国した後の2011年に正式に一般社団法人化して、略称をAFL Japanとしました。

 

それまでは、AFLルールの全文日本語訳をして、AFL Japanの公式ルールを策定していました。またアンパイア講習会、基礎戦術講習会などを通して、オーストラリアンフットボールに関する知識提供を積極的に行いました。

2009年には、AFLのエッセンドン・ボンバーズに呼ばれて、知識提供をするための研修にも参加しました。そして、2010年くらいから地域のスポーツクラブで、子ども向けのオーストラリアンフットボール教室を定期的に開催するようになっていきます。この頃からオーストラリアンフットボールを教える活動が本格化します。当時は、学校とか自治体のスポーツイベントに出て、この新しいスポーツをアピールしたり、自分たちでホームページをつくって情報発信をしたりもしていました。

当時は、自分も選手として出場しながら、国内リーグの運営も手がけていました。オーストラリアの関係者にも手伝ってもらいながら、学校向けの教育プログラムの開発にも取り組みました。

 

主催するキッズチームにも女子も所属

Q 現在も子ども向けオーストラリアンフットボール教室を定期的に開催されているようですが、活動内容を具体的に教えてください。

A 現在は、キッズチームをつくって、週1回、多摩川の河川敷で定期的に教室をやっています。メインのターゲットは小学生で、オーストラリアフットボールを通して、スポーツの楽しさ知ってもらうことを目的としてやっています。現在のチームメンバーは、小学1年生から6年生で、10人前後が毎週参加しています。

幅広い学年の子どもたちが参加するキッズチーム

 

Q AFLは女性にも広がっています。豪日交流基金の助成金を受けて、女子ナショナルチーム「ミライズ」も活動しています。オーストラリアでもオーストラリアンフットボールに多くの女性が参加していますか?

A 本場AFLでは、2017年から女子のプロリーグが発足して、今年(2023年)で8シーズン目に入ります。私がアンパイアの講習会を受けた2007年当時も、最終試験では女子リーグの試合を担当しました。

女子ナショナルチーム「ミライズ」のメンバー

 

18人のチームでいろいろなタイプの人が活躍できる

Q 改めて、オーストラリアンフットボールの魅力をお聞かせください。

A 繰り返しになってしまいますが、やはりプレ−の自由度の高さとスピーディな試合展開が魅力だと思います。さらに攻守における選択肢が多い。走ってもいいし、手でパンチをしてパスしてもいいし、キックしてもいい。あとはオフサイドがないんで、どこに行ってもいい。試合の展開も早いので、見ていて飽きることはありません。ルールも単純でわかりやすい点もいいと思います。

ルールがわかってくるとさらに楽しさが増します。18人も選手がいることで、身体が大きくてパワーがある選手、小柄ですばしっこい選手など、ポジションによっていろいろなタイプの人が活躍できるのもいいですね。また、大雑把そうに見えて、実はかなり緻密にデータ分析をしてゲームを組み立てている点も面白い。プロチームには必ずデータ分析班がいて、細かく指示をくれるんですよ。これはオーストラリア人の気質なのかもしれません。

日本でも流行る要素は十分にあると思うのですが、18人制という大人数のスポーツで、さらにある程度の広さのグラウンドが必要になります。プレーをするには、そこがちょっとしたハードルになるかもしれません。ただ、現地のAFLの試合を見る分には、英語がわからなくても十分に楽しむことができます。ちなみに日本では、9人制のルールで、ラグビー場を使って試合をすることが多いですね。

 

Q 選手として、社会人として、ずっと関わってきたオーストラリアの人々や文化について、どのような印象をお持ちですか?

これは現地のチームでの生活を通じて感じたことなのですが、彼らの思考は徹底的に合理的だと思います。トレーニングは選手一人ひとりしっかり管理されていて、本当にバテる一歩手前で終わるようにするんです。なので、選手としては厳しいなりにもやめたいとは思わないんです。

日本だとコーチのスキルだけでなく、認識の違いもあると思いますが、とにかくヘトヘトまで疲れさせて、「やった感」を出すのですが、オーストラリアでは、「やった感」がなくても成果が出るんです。本当に一人ずつデータを見て、「きみは今日この本数まで」と指示をする。試合でも同様で、疲労の蓄積度を見て、早めに選手を交代したりします。これはコーチとして指導をする上で、非常に勉強になりました。

日本だとプロ選手をまるで超人のように扱いますが、オーストラリアでは逆で、いかに普通の人と一緒であるかを強調しているような印象があります。また、AFLの選手でも休日はカフェで、ファンと普通に話をしたりしています。

日本はまだまだスポーツに「苦しさの美学」を求めるのですが、オーストラリアでは自然に選手を成長させるノウハウがあります。いかに選手にプレッシャーを与えないようにするかがコーチの仕事で、知らないうちにどんどん成績が上がるような指導がコーチのマネジメント能力として評価されていると思います。

 

 

Q なかなか興味深いですね。ほかにも日本とオーストラリアのプロスポーツの違いはありますか?

A これはAFLの例になりますが、プロスポーツ選手はチームのスポンサーだけでなく、個人でもスポンサーを付けられるんです。選手としてもチーム以外の社会との接点が持てるのは、将来のプラスになりますよね。社会人として自覚も出るし、教育としての意味も大きいと思います。

日本では一般的なチームスポーツのプロ選手が個人でもスポンサーを取ってくるって、なかなか想像しにくいですよね。プレーに集中するのがよしとされていて、社会的なスキルを学ぶ機会が限られているので。日本の文化には合わないかもしれませんが、選手が個人でスポンサーを獲得できるようになったら、雰囲気は変わるでしょうね。

あと、小さい話ですが、すごくいいなと思ったのが、クラブの練習の後に飲み会があるとき。予定があれば出るし、帰りたいときは帰る。もちろん家族が最優先される。それがカルチャーとして定着しているので、まったく問題ないんです。参加したければウェルカム、来なくても誰も気にしない。私個人は、これがすごく合っていましたね。

やはり、もともとの価値観の違いだと思うんです。日本はいい意味でも村社会の文化で、集団で同じ考えで行動することが美徳とされる。一方、オーストラリアは個人が尊重される文化で、集団も意見の違うプレイヤーがいるほうが強いとされています。つまりダイバーシティですよね。そこもAFLの強さであり、面白さだと思います。

 

オーストラリアでの選手生活で「道を切り拓く感覚」を得た

Q 榊さんは講演などで「チャレンジ」について語られることが多いですが、オーストラリアだからこそできたチャレンジはありますか?

A オーストラリアでの選手生活で「道を切り拓く感覚」みたいなものを得た気がします。自分から動けば、何かしらのリアクションがあって、ものごとが回り始める。もちろん、すべての願いが叶うわけではありませんが、自分から行動しなければ何も起こりません。

私はAFLのチームのプレシーズンキャンプに乗り込んで、結果的に現地の独立リーグでプレーするようになるのですが、これも日本にいる頃から小さなチャレンジを積み重ねた結果です。大きな夢を叶えるには、小さなチャレンジを毎日続けるしかない。講演では、そういう話をしていますね。

 

Q オーストラリアンフットボールの選手として、また普及する立場として、今後実現したい夢や目標はありますか?

A コロナ禍も過ぎたので、そろそろオーストラリアとの往き来を増やして、AFLを日本に広める活動にますます力を入れたいですね。大きい夢としては、AFLのインターナショナルカップで、日本チームを優勝させたいというものがあります。AFLが世界大会を始めた理由のひとつは、この競技を他の国の人がやったらどうなるのか、どんな戦術を思いつくのか、というのを見たかったのだと聞いています。日本人ならこうプレーするぞ!というのをチームで見せつけたいという思いはありますね。

私自身は年齢的に現役選手としての出場は厳しいと思っているので、今後は選手育成により力を入れていくつもりです。まずは、日本で育てたプレーヤーをAFLでデビューさせることが目標です。最近は、サッカーやバスケットボールでも海外で活躍する日本人がたくさんいます。これをオーストラリアンフットボールの世界でも実現させたいですね。

あとは、オーストラリアの雰囲気を日本で楽しめる場をつくりたいという夢もあります。そこにAFL Japanのグラウンドをつくって、オーストラリアに興味がある幅広い層が集まるようになったらいいなと思います。できれば、スポーツだけでなく、文化交流などもしたいですね。映画館や図書館などをつくって、オーストラリアの情報発信地になれば……ずっと先になるかもしれませんが、いつかこれも実現したいと思っています。

 

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