Australian Embassy Tokyo
在日オーストラリア大使館

カウラ事件80周年記念式典 アルバニージー首相、フェイガン・カウラ市長のコメント

2024年8月4日

 

ルース・フェイガン カウラ市長

カウラ市長のルース・フェイガンです。みなさまにお会いでき、嬉しく思います。また、カウラ事件(日本兵捕虜脱走事件)80周年を記念する今日、みなさまをカウラ市にお迎えでき光栄に存じます。カウラ事件は豪の軍事史における重要な出来事で、第二次世界大戦中に起こった豪国内唯一の陸上戦でした。同事件中に命を落とした豪日  双方の人々や、カウラと日本の強い絆に敬意を表することが重要です。日本との力強い関係は、カウラの戦没者等墓地や捕虜収容所跡地がどれだけ大切にされているか考えれば明らかでしょう。地元のために日々邁進してくださっているマイケル・マコーマック議員の再訪を歓迎するとともに、アンソニー・アルバニージー首相のご臨席をとても名誉に感じております。現職の首相がカウラをご訪問くださったのは、1986年のボブ・ホーク首相のときが最後でした。当時、私は記者でしたが、ホーク首相の公式訪問をお受けできたのを光栄に思っております。アルバニージー首相、ようこそお越しくださいました。ご来訪に感謝いたします。

 

アンソニー・アルバニージー オーストラリア首相

フェイガン市長、カウラのこの地でお迎えくださいまして、ありがとうございます。地方にお住いの方々のもとを訪問して、地元社会の一体感や人々の間のつながりを感じられるのは、いつもすばらしいことだと考えております。地元選出で我が友人のマコーマック議員から招待を受け、本日の式典に首相として参加できるのは大きな名誉です。マコーマック議員は地元選挙区のご出身で、私とはオーストラリアの国益を推進するという目標を共有しています。今日の式典は、カウラ事件80周年を記念する重要な式典です。カウラ事件は、第二次世界大戦中にオーストラリア国内で戦争捕虜が脱走したというだけでなく、第二次世界大戦中に起こった世界最大の戦争捕虜脱走であって、我々の歴史にとっても重要な、稀に見る出来事でした。カウラ事件中には、オーストラリア人兵4人が亡くなり、234人の日本人捕虜が命を落としました。大規模脱走後の混乱の中、殺害されるか自ら命を絶った人々です。明日午前2時、つまり突撃ラッパが鳴り響き、運命を決する脱走が呼びかけられた時間とまったく同じ時間に、こちらでまた記念式典が行われます。このラッパを吹いた捕虜は、我が国の沿岸に第二次世界大戦をもたらした  飛行兵の1人でした。音楽とともに、混乱がこの地域を襲ったのです。カウラ事件は、第二次世界大戦中に起こった最大の捕虜収容所脱走事件でした。脱走事件によって命を落としたオーストラリア人と日本人の双方を今日、心に留めます。死者の墓に丁寧に手入れをしてくださっているカウラ市民の方々のおかげで、何世代にもわたり、思いやりの精神が輝き続けている様子を目にすることができています。この機会に、ニューサウスウェールズ州知事と日本の鈴木大使とともに本日参列できたのは、厳粛かつ重要な追悼となりました。何世代にもわたり、カウラ市民のみなさまは死者の墓を管理され、同市の人々が抱く敬意は市内の日本庭園にもはっきりと見て取ることができます。カウラ市の日本庭園は花が植えられ、オーストラリア人兵が抱いた尊敬の念を人々の憩いの場、内省のための空間として今も伝えています。カウラ市民のひたむきな姿を見ると、人類の絆には越えられない壁などないと思いだすことができます。もっとも悲惨な夜の後、カウラの人々は戦争の荒廃の中で、友情が根付くよう、やさしく、入念に手を加えました。豪日  の友情は現在、拡大と繁栄の日々を迎えています。豪首相として日本にはこれまで3度訪問しました。この点からも、二国間の友情の深さは明らかです。また、この重要な二国間関係のために、岸田首相をオーストラリアにもお迎えしました。死者を悼み、称える今日の式典には地元の方々もご参加くださり、80周年を迎えたこの日に、カウラ事件という歴史的な一大事件を記念します。また、今日は平和への思いを新たにする日でもあります。世界中に多くの混乱と紛争が見られる現在、二国間の友情が第二次世界大戦の真っ暗な日々の後に育まれたことを思い出すことが大切です。両国間の尊敬、称賛、協力を土台にした友情です。両国双方に大きな経済的利益をもたらした友情ですが、より重要なことに両国の国民の間に生まれた友情でもあります。国民間の交流が豪 日双方を豊かにしてきました。そして、平和のために力を尽くすべきことを思い出させてもくれます。我々に共通の人間性のためにひたむきに、そして違いを尊重し、両者にとって有益なかたちで違いを克服することです。