Australian Embassy Tokyo
在日オーストラリア大使館

ブルース・ミラー駐日オーストラリア大使 昭和女子大学講演「日本とオーストラリア−よきパートナーとして」

2012年11月14日
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坂東学長、皆様、こんにちは。ただ今ご紹介にあずかりました駐日オーストラリア大使のブルース・ミラーです。本日は、こちら昭和女子大学でお話する機会を頂き、大変嬉しく思います。

坂東先生、先程は、オーストラリアについて素晴らしいご紹介を頂き、感謝申し上げます。ブリスベン総領事を務められた先生に、わが国について既に幅広くご説明を頂き、大変嬉しく思っております。

というのも、本日は、日豪の二国間関係の現状−特に貿易や安全保障関係−について、両国のパートナーシップの面から改めて少しご説明させていただいた後、女性の地位向上という観点から、詳しくお話ししたいと考えているからです。

アメリカのヒラリー・クリントン国務長官は、「女性の役割や権利の向上、自由や平等の獲得は、21世紀においても未だ実現していない」と最近発言しました。確かに未だ実現叶わずの部分はその通りだと思います。

しかし、男女の平等を推進し、女性の政治・経済・社会分野への参加を促す動きは、今日、オーストラリアの外交や防衛、海外開発援助の分野での中心的な議題となっています。また、日本でも、1999年に「男女共同参画社会基本法」が施行され、内閣府、その他省庁を始め、地方自治体、学校等で男女共同参画に向けた多くの取り組みがなされていると伺っております。

本日の講演では、男女共同参画社会を実現する上での課題を取り上げ、わが国で「女性と少女の世界大使(Global Ambassador for Women and Girls)」を務めるペニー・ウィリアムズ大使と、男女平等の推進に向けオーストラリアが世界、特にアジア太平洋地域で、行っている活動について詳しくご紹介させていただきたいと思います。

しかし、まずは、その前に、日豪の二国間関係についてもう少しだけ、ご説明させて下さい。

 

日豪のパートナーシップ

坂東先生によるご紹介からもお分かりいただけたことと思いますが、わが国にとって日本との関係は、アジアとの関わりの根幹を成すものです。日豪関係は、いわば、わが国が他のアジア諸国と関係を築いて行く上での、モデルを提供するものと言っても過言ではありません。

ご存知の通り、両国は、赤道を挟んでほぼ反対側に位置し、国土面積や人口の規模など、多くの面で対称的な違いを見せています。わが国の面積は日本の約20倍もありますが、人口は日本の5分の1以下に過ぎません。

にもかかわらず、わが国と日本は、50年以上にわたり、民主主義や法の支配、自由市場主義という社会の価値観を共有し、また、両国の経済が強い相互補完性を有していることから、地域において最も緊密な関係を構築してきました。

皆さんがご承知のように、わが国にはエネルギーや天然資源が豊富にあります。日本にはこうした資源は殆ど存在しませんが、一方でこれらを大量に消費しています。

また、それぞれ異なる半球に位置し、季節が反対であるため、日豪間では観光や季節の違いを利用した食品の輸出が盛んです。

 

貿易・投資関係

日本は、40年近くにわたり、わが国の最大輸出市場でありました。 経済の規模だけをとってみれば、2009年に中国に一位の座を明け渡しはしましたが、日本が、地域において最も豊かな先進国であることには間違いがなく、わが国の輸出にとり、巨大で、高度化された、信頼の置ける市場であり続けるという点も、今後変ることはないでしょう。

実際、わが国の対日輸出は、2001年に240億豪ドルであった輸出額が、昨年500億豪ドルとなり、この10年で倍増しています。 また、わが国の対日貿易黒字は、全ての国を上回るもので、昨年の黒字額は、323億豪ドルに達しました。

この貿易黒字額の意味合いをご理解頂くために説明しますと、この数字は2011年におけるオーストラリア、インド間の双方向貿易の総額を超えています。

しかし、他国との場合と異なり、この貿易黒字に関して日本から不満の声は殆ど上がっていません。これは我々の輸出品が、日本の経済にとっていかに重要であるかを物語っています。

また、日本の投資は、資源や農業分野から、サービス・製造業に至るまで、わが国における多くの主要産業の発展に欠かせないものでしたし、この点は、今でも変わりありません。

日本の対豪投資総額は1,230億豪ドルに及んでおり、わが国への直接投資で世界第3位となっています。アジアでは、最大の対豪投資国として他国を引き離しています。

このように、日豪の経済関係は両国関係の中心をなす大変重要なものですが、ここにはまた新たな次元へと飛躍する余地が存在するのも確かです。こうした点から、2007年、両国は現在進行中の日豪経済連携協定(EPA/FTA)交渉を開始しました。

先日、野田首相が施政方針演説でも触れられたように、わが国は、より一層の経済の緊密化を図るためにも、日豪経済連携協定が近い内に締結されるのが望ましいと考えています。

このように、貿易や投資は重要ではありますが、これらは、あくまでも日豪関係の一側面に過ぎません。

 

安全保障・防衛関係

近年、両国間で、特に勢いを増している分野としては、他に安全保障と防衛が挙げられます。

日豪は共に米国の主要な同盟国であり、地域の平和と繁栄を継続させるための戦略的環境を構築する上で、日本はわが国にとって最も緊密で、信頼できる地域のパートナーとなっています。

両国は2007年に、安全保障協力に関する日豪共同宣言に署名しました。 これに基づき、両国はこの年、最初の日豪外務防衛閣僚協議−いわゆる「2プラス2」を開催しました。現在、わが国は、日本が米国以外で、こうした協議を定期的に開催している唯一の国となっています。

また、両国は2010年の「2 プラス2」において、日豪物品役務相互提供協定に署名しました。これにより、災害救助や平和維持活動においてより効果的な協力が可能となります。

加えて、今年5月には、二国間の情報共有や情報協力の向上を目指す「日豪情報保護協定」への署名がなされました。

実務面では、オーストラリア国防軍と日本の自衛隊はこれまで、イラクでの活動やパキスタンでの災害救助、東ティモールの再建において行動を共にしてきました。最近では、国連の南スーダン共和国ミッション(UNMISS)に派遣されている自衛隊員と国防軍要員との間で、平和維持活動における連携強化が進んでいます。

 

東日本大震災対応での協力

既にご存知の方も多いと思いますが、わが国の空軍と日本の自衛隊は、昨年3月の東日本大震災後、ここ日本での災害救助活動でも緊密に協力し合いました。

震災発生直後、わが国は、C-17輸送機を日本に派遣し、米軍および日本の自衛隊と共に行動しながら、500トン以上におよぶ救援物資や機材、車両、人員の国内輸送任務に携わりました。加えて、76名からなる都市捜索隊が、津波で甚大な被害を被った被災地のひとつである、宮城県北部の南三陸町に入り、捜索活動に従事しました。

東日本大震災や、その前にわが国のクイーンズランド州を襲った洪水などの自然災害は、結果として、両国の関係が単なる政治・経済だけのものではなく、人と人との結びつきによって支えられているという事実を浮き彫りにしています。

クイーンズランド州の洪水では、日本から多くのお見舞いや義捐金が寄せられ、東日本大震災では、オーストラリアから政府、企業、一般市民を問わず、多くの人々が友人である日本のために何かしたいという思いを形にしました。

また、震災からまだ間もない2011年4月に来日したジュリア・ギラード豪州首相は、宮城県の南三陸町を訪れ、外国首脳としては初めて避難所で暮らす被災者の皆さんに直接お会いしました。

日本とオーストラリアの人的交流はその歴史が長く、また、日豪協会は日本中で積極的に活動しています。現在、 都市や自治体の間には全部で100以上の姉妹提携が存在しています。また何十万という数の両国民が、観光客としてお互いの国を毎年訪れています。

もちろん、日豪両国は今までお話した二国間の関係のみでなく、APECやG20、東アジアサミット、そして国連など、地域や世界規模での問題の解決の場でも、緊密に協力しております。

このように、貿易・投資から安全保障、防衛面での協力、人的・教育交流に至るまで、多面的なひろがりを見せる二国間関係は、今日、まさに「包括的な戦略関係」と呼ぶに相応しいものです。オーストラリアは、今後も日本のよきパートナーとして、両国はもとより、アジア太平洋地域、さらにはより広い地域の繁栄と安全のために共に手を携えて前進していきます。

 

男女平等を巡る動き - 日本の情況

それでは、ここから主題を変え、男女平等の観点からお話をさせていただきたいと思います。現在、男女平等を巡る議論は、それぞれの国で、非常に異なった理由から、注目を浴びています。

まず、日本の状況に目を向けてみましょう。

先月、スイスに本部を置く非営利財団である世界経済フォーラムが『男女格差報告』の最新版を発表しました。

この報告書は世界135の国と地域を対象に、男女間の不平等の格差を、賃金や高等教育への進学率、政治への関与や保健面などの項目で調査し、その格差の縮小度合いを数値化したものです。

2012年の報告で、世界1位となったのは、男女格差の縮小度合いが86.4パーセントとなったアイスランドで、その後に、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン、アイルランドといった北ヨーロッパの各国が続いています。

日本については、65.3パーセントで101位にとどまっています。

しかし、ここには、状況改善の動きも見えます。

この動きを後押しするのが、日本の経済状況です。日本が今なお、世界の経済大国のひとつであることは疑う余地も無いことですが、ここ10年余り、その経済成長は鈍化しています。

そして、このような状況をさらに複雑にしているのが、高齢化とそれに起因する労働力の減少です。現在、政策の源である日本の税収基盤は縮小を続けています。

地震などと異なり、人口の激減は前触れなしに急に起こるものではありません。2050年までに、日本の人口は現在の1億2700万人から9000万人にまで減少するとの予測が出ています。

1990年には、労働人口7人が、主に高齢者である非労働人口3人を養うという計算でしたが、2050年にはこれが1対1になります。

このような状況を背景に、日本では、近年の歴史上かつてないほどに、企業が活力に満ちた新しい労働力を必要とする時代が到来します。そのため、日本では、現在、男女格差の解消に向けた様々な対応策が検討されています。

アメリカの投資銀行、ゴールドマン・サックスが2010年に発表した経済調査は、より多くの女性が労働力人口に加わることで、日本のGDPが15パーセントも増加する可能性を指摘しています。また、男女の就労率が等しいものとなれば、820万人の追加的な労働力が生まれるとしています。

しかし、現状のままでは、女性の持つ才能や可能性が十分に活かされているとは言えません。

そして、このことは政治の世界にも当てはまります。

日本で女性に参政権が認められたのは1946年ですが、この年、日本初の女性国会議員が誕生しました。

現在、日本の国会には54名の女性衆議院議員と44名の女性参議院議員がおり、それぞれ全議員数の11パーセントと18パーセントを占めています。しかし、女性閣僚については、一人のみです。

日本全国を見回してみますと、北海道の高橋はるみ知事、滋賀県の嘉田由紀子知事、そして山形県の吉村美栄子知事という3名の女性が知事として活躍しておられます。

これは喜ばしい進展と言えます。というのも、大阪府で日本初の女性知事が誕生したのがわずか12年前のことだからです。

もちろん、昭和女子大学に学ぶ学生の皆さんには、まさに、坂東先生が、優れた模範を示しておられることと思います。

坂東先生の輝かしい業績は、皆さん良くご存知だと思いますが、あえて、ここで繰り返させていただけば、先生は、日本初の女性総領事として、ブリスベン総領事を務められただけではなく、そもそも、キャリア官僚として総理府に入省された初めての女性でもあります。ですから、才能のある女性が、日本で活躍できることを、先生自らが、証明しておられます。

坂東先生もまた、私と同様、日本あるいはオーストラリアで上級職に就く女性の称号から、「初めての」という枕詞が消えて無くなる日が、早く到来してほしいと思っておられるのではないでしょうか。

 

男女平等を巡る動き - オーストラリアの情況

では、わが国の状況はどのようなものでしょうか。オーストラリアでは、ジュリア・ギラード首相が、わが国史上初の女性首相となったことで、男女平等を巡る議論が活発化しています。

前回の大統領戦でバラク・オバマ氏が当選した際、人種問題が、アメリカの政治談話の前面に押し出されたように、ジュリア・ギラード氏の首相選出によって、オーストラリア政治における男女共同参画に、より一層の焦点が当てられるようになりました。

事実、わが国では現在、国家の最高職責の2つ、すなわち、首相と国家元首、すなわち連邦総督が女性であり、これはオーストラリア史上、初めてのことです。

現任の連邦総督と首相は、わが国の女性として初めてそれぞれの地位に就任しています。

さらに、わが国の女性閣僚の割合は現在、これまでで最も多く、全体の23パーセントを占めています。

国会議員については上下両院あわせて29パーセントが女性であり、上院については、連邦政府の成立以来、最も多い数となっています。

また、日本の知事に相当する、州首相と主席大臣8人の内、2名が女性です。

もちろん、これらの数については、まだまだ改善の余地があり、平等参画と呼べる状況からは程遠いものです。とは言え、ここまで到達することができたことを、オーストラリア国民は誇りにしても良いと思います。

1901年、わが国の6つの英国の植民地が連邦制に移行し、当時、暫定的な首都であったメルボルンで、誕生したばかりの連邦議会が開催された際、議員はすべて男性でした。

しかし、わが国は女性が最も早く参政権を獲得した国のひとつであり、翌年の1902年、わが国の女性に連邦議会選挙での選挙権のみならず、被選挙権が与えられました。

州における状況はこれとは少し異なり、まだ、イギリスの殖民地であった1894年と1899年に、南オーストラリアと西オーストラリアで、それぞれ、既に女性に参政権が与えられていました。残りの殖民地では、連邦制に移行した後、1902年から1908年までの間にすべての州で女性参政権が獲得されました。そして、既にその翌年、4人の女性が連邦議会選挙に出馬したという記録が残っています。

残念ながら4名の女性は当選を果たすことはなく、実際に女性議員がわが国の議会に登場するまでには、その後18年の歳月を要しました。

1921年、エディス・コーワン氏が西オーストラリア州の議会に当選を果たし、わが国初の女性議員となりました。コーワン氏の業績を称えて、現在、オーストラリア国内で使用されている50ドル紙幣には彼女の肖像画がプリントされており、また西オーストラリア州には、彼女の名前を冠した大学があります。

連邦議会に初めて女性が当選したのはそのもう少し後の1943年で、この年、上院と下院に1名ずつ女性議員が誕生しました。その一人、エニド・リヨンズ氏は、1949年にわが国初の女性閣僚となりました。

しかし、わが国の女性が、初めて政府組織のトップに就任したのは、1989 年のことであり、女性議員の誕生から40年という長い歳月が過ぎる必要がありました。ようやくこの年、ローズマリー・フォレット氏が、わが国の首都キャンベラを擁する、オーストラリア主都特別地域の主席大臣に就任しました。そして、ご存知の通り、2010年、ジュリア・ギラード氏が、オーストラリア史上初の女性首相となりました。

しかし、これにより、わが国の男女格差問題が解消されたわけではありません。

先ほどお話した『男女格差報告』で、オーストラリアは25位という結果が出ています。

政治の最高職に女性が就任していながら、実は、わが国は、この男女格差ランキングで2006年から10位も順位を下げているのです。

わが国には、男女間の賃金格差が依然として存在しており、2010年には17パーセント近くの賃金格差がみられます。

複数の調査が、わが国に存在する男女間賃金格差の6割から9割が、個人の能力や職場の性質の違いによるものではなく、差別的な意識に基づくところが大きいということを明らかにしています。

そして、このような格差は、給与体系が高いほど顕著なものとなっています。

先ほど私はゴールドマン・サックスの経済調査で、日本における女性労働人口の増加が15パーセントのGDP増加につながると指摘した点について申し上げました。わが国の場合、これにより11パーセントのGDP増加が見込まれるとされています。

ここまで日豪両国の男女平等を巡る動きについてご紹介してきましたが、アメリカのクリントン国務長官が述べている通り、男女共同参画社会は、日本やオーストラリアのみでなく、世界中で「未だ実現していない」と言えます。

そして、男女平等の問題、すなわち、女性労働人口の増加と対等な社会参加は、日本で、今後、益々重要な議題となることでしょう。

皆さんが、大学を卒業し、就職をされる頃には、この問題にも弾みがつき、ここにおられる皆さんの一人一人により多くの機会が、もたらされることを願っております。

また、わが国も、男女間の賃金格差の解消や上級職への女性の登用、また男性にとっても女性にとっても柔軟に働ける職場環境の確立へ向けて、継続的に取り組んで行きます。

 

「女性と少女の世界大使(Global Ambassador for Women and Girls)」

日本とオーストラリアはそれぞれ国内で、このような取り組みを続けると同時に、また、世界における男女平等の推進に向けても行動を起こしています。

オーストラリアでは、昨年9月、ジュリア・ギラード首相が、ペニー・ウィリアムズ氏をわが国初の「女性と少女の世界大使」に任命しました。

ウィリアムズ大使は、男女間の格差解消や、政治・経済・社会分野における女性の権利や地位の向上に向けたわが国の政策や活動を国内外で推進していく上で、重要な責務を担います。

国外での活動については、地理的な理由から、わが国は、特にアジア太平洋地域に照準を合わせた活動を行っています。

オーストラリアの太平洋諸島問題担当の政務次官は、女性支援に関し、アジア太平洋はわが国が最も有効な手立てを取り得る地域であるだけでなく、我々が最も有効な手立てをとるべき必要がある地域であるとし、アジア太平洋における女性の権利擁護の推進を優先課題のひとつにあげています。

このように女性支援に特化した大使を擁することで、わが国は、国際社会において女性の権利の向上に向け、強力に発言権を行使することが可能となります。

ウィリアムズ大使は、彼女自身が、優れた手本ともいうべき人物です。外務貿易省の高官であり、過去には、大使に相当する駐マレーシア高等弁務官を務めた経験があります。

また、 スペイン語とインドネシア語に堪能で、かつてアラビア語も学んでいました。既婚で4人の子供がいます。

ウィリアムズ大使は、外国政府や国際機関と緊密に協力しながら、女性に対する暴力の根絶や、より良い保険衛生や教育の実現、紛争下の女性の保護、女性による指導的立場や意思決定プロセスへの参加などの推進活動に取り組んでいます。

アジア太平洋地域の女性を取り巻く情況

女性を取り巻く状況は、20世紀初頭から、大幅に改善されました。これは、女性たち自身の取り組みに負うところが非常に大きいといえます。しかし、まだ取り組むべき課題は山積しています。

ここで、少し具体的な数字をご紹介したいと思います。

世界的な傾向として、女性の方が、貧しい傾向が見られます。現在、援助を必要とする世界の貧困層の70パーセントが女性です。そして、その内の3分の2がアジア太平洋地域に存在しています。今日、アジア地域に住む17億人の人々は、一日2ドル以下で生活をしています。

そして、世界の難民の80パーセントが女性という報告もあり、また、字の読めない人の3分の2が女性です。

私が 先ほど申し上げた政治における女性の状況に関して言えば、世界の議会で女性が占める割合は18パーセントであり、太平洋諸島地域に至ってはわずか5パーセントという数字が出ています。

そして、太平洋諸国の一部では、3人に2人の女性や少女たちが生涯に肉体的あるいは性的な暴力を体験するとしています。

パプア・ニュー・ギニアでは、わが国に比べ、出産で命を落とす女性の数が80倍も高いという報告もあります。

端的に言えば、女性の権利とは、すなわち人権を意味します。しかし、私が述べてきたように、女性は多くの経済的側面から排除されているのが現状です。

この点の裏付けとして申し上げれば、国際労働機関(ILO)は、女性による労働市場への参入が限られているために、アジア太平洋地域では、毎年470億米ドルにのぼる経済的損失がある点を指摘しています。

また、性別による教育格差は、さらに160億ドルの経済的損失を生み出しています。

ジュリア・ギラード首相は今年8月、太平洋諸島フォーラムに出席しました。この会合には、太平洋にある島国のほか、ニュージーランドやオーストラリアが参加しています。

出席した各国の元首の中で、ギラード首相はただひとりの女性でした。残念ながら、これは驚くようなことではありません。

しかし、最近この地域では、女性国会議員の進出という点で明るい兆しが見えてきており、この2,3ヶ月を見ても、4人の女性が太平洋諸国の議会にて当選を果たしています。そのうちの3名はパプア・ニューギニアの女性です。この国はこれまで15年間、女性の政治家はひとりしかいませんでした。そしてその女性も、今年のはじめに政界を引退していました。

残りのもう一人はソロモン諸島の女性ですが、この国でも2001年以降、女性議員はいませんでした。

 

太平洋諸島開発のための女性プログラム

ギラード首相は、この太平洋諸島フォーラムの席で、太平洋諸島地域への新しい援助プログラムを発表しました。この10年間を対象とした3億2千万ドル規模のイニシアチブは、「太平洋諸島開発のための女性プログラム」と呼ばれています。

わが国は、このイニシアチブを通じて、全国、地方レベルの両方で、太平洋地域に芽生えてきた男女平等の機運をより高めることを目指しています。

「太平洋諸島開発のための女性プログラム」は、女性議員や議員を目指す女性が、選挙で当選し、国や地方の政治に影響力を行使できるようアドバイスや訓練を提供するものです。

このプログラムはまた、特に、各地方にあるマーケットや市場の環境改善に力を入れています。施設の改善やサービスの向上により、女性の働き手に、より良い支援とより安全な職場環境を提供することを目指しています。

太平洋諸島地域では、市場で働く人々の半分以上が女性です。こうした女性たちの起業活動を支援することで、収入や資産を増やし、貧困から抜け出す機会をより与えていくことができます。

プログラムでは、このような取り組みと併せて、女性への暴力の問題にも焦点を当てています。

先程も述べましたが、一部の太平洋諸国においては、3人に2人の女性が生涯において身体的暴力、あるいは性的暴力を経験するとされます。

アジアと同様、太平洋諸島地域においても、女性に対する暴力は女性の完全な職場参加を阻む大きな要因となっています。

どの地域社会も、この問題と無縁ではありません。

アジア太平洋地域に効果的な援助プログラムを提供したいと本気で考えるのであれば、この暴力の問題に真摯に取り組む必要があります。

そうしない限り、多くの途上国で、女性のための経済的機会、あるいは他の機会を支援していくことは難しくなります。

従って、わが国は、このプログラムを通じて、太平洋諸島国が家庭内暴力を取り締まる法律を制定し、被害者の保護や犯罪者の処罰をきちんと行うよう働きかけを行っています。

と同時に、暴力を受けた女性に避難の場所を与えると共に、医療サービスやカウンセリング、裁判などへのアクセス提供にも力を入れています。

女性が政治的、経済的、社会的に対等な機会を与えられて初めて、太平洋諸島などの地域で持続可能な開発が可能となります。

これは、何世代にもわたる取り組みとなりますが、わが国は太平洋地域の人々の暮らしの向上のために、この地域の代表や地域社会と引き続き行動を共にしていきます。

 

終わりに

太平洋地域や日本、オーストラリアにおける男女の不平等の問題に取り組む上で、教育はひとつの効果的な手段です。

昭和女子大学には、戦前、ほとんどの女性が大学での教育や職場でのキャリアを手にすることができなかった時代から、女性の高等教育を支えてきた誇るべき歴史があります。

これは本当に、誇るべき伝統です。

しかし、教育だけで全てが解決できるものではありません。

日本の大学の卒業生のほぼ半数は女性ですが、仕事に就いている女性卒業生は3分の2のみです。そして多くの方々が、十分に実力を発揮できない環境の下で、パートタイムとして働くなどして、その才能を埋もれさせています。

また、欧米諸国と比べ、学歴の高い日本の女性ほど、やがては職場を自発的に離れる傾向があるように思われます。

オーストラリアでもアメリカでも、大半の女性は子どもの面倒を見るために一時職場を離れますが、日本の場合は、自分を生かせる場所がなかったために職場を去る女性が多いように感じます。

実際、仕事をやめた高学歴の女性の7割近くが、勤務時間や勤務形態にある程度の自由がきく職場だったら、仕事を続けていたと答えているそうです。

日本ではある意味、長時間労働が当然であるために、子どもを迎えに行けない場合が多いからかもしれません。また、自宅勤務や早い時間の退社は、全体の和を乱すと取られてしまうのかもしれません。

出産のために職場を離れる女性のうちの77パーセントが、仕事への復帰を望んでいるそうですが、実現できるのはわずか43パーセントほどという報告も出ており、ここには適切な対応策が施される必要があるといえるでしょう。

本日は数々の数字をお伝えしましたが、最後に、最も興味深い統計をひとつご紹介したいと思います。皆さんがこれから社会に出て、男性の同僚や上司から疑いの目で見られるようなことがあった場合に、是非この統計を思い出してください。

イギリスの主要経済誌『エコノミスト』によれば、先進国における、この10年間の女性の雇用の増加が世界の経済成長に貢献した度合いは、中国が貢献した割合よりも高いそうです。

量的緩和や他のマクロ経済政策と比較しても、男女平等の推進は、政府が長期的、持続的成長のために行える最も強力な行動であるといえるでしょう。

これから皆さんが社会に旅立たれ、日本のGDP増加に向け一翼を担っていかれる中で、日本の社会環境が、より良い方向へ変化していくよう願っております。

最後になりますが、この場をお借りして、本日の講演の機会を提供してくださった坂東学長、また教職員の皆様に心よりお礼申し上げます。

今後の昭和女子大学の益々のご発展と、皆様のご活躍をお祈りし、本日の講演に代えさせていただきます。長らくのご清聴、どうもありがとうございました。