Australian Embassy Tokyo
在日オーストラリア大使館

ブルース・ミラー駐日オーストラリア大使  明治大学農学部生への公開講演

2013年01月21日

 

本日このような形で講演する機会を頂き、誠に有難うございます。この場をお借りしまして、ご企画下さいました山田教授、ならびに大内教授に対し感謝申し上げます。

本日は、日本の主要大学のひとつで、130年以上の優れた歴史を有する明治大学に来ることができ、大変嬉しく思います。明治大学は世界中の数多くの大学と提携関係を結んでおられますが、オーストラリアの6つの大学ともこのようなパートナーシップを持っています。

本日の講演では、皆さんにオーストラリアの農業について、また、わが国の農家が世界市場で競争力、効率性を保つために政府が、どのような支援を行っているかについてお話したいと思います。また、オーストラリアと日本の農業が共通して直面している幾つかの課題についても見ていきます。この他、長い歴史を有する日本とオーストラリアの深い関係や、その継続的な重要性についても若干述べたいと思います。

私自身、かつて日本に留学しておりました。本日はオーストラリア大使として日本語で講演させて頂きますが、これまでに至る経緯について、まずは簡単に御説明したいと思います。

 

経歴について

私が日本に初めて興味を抱いたのは、11歳の時でした。外国語を習いたいのであれば、アジアの言語を学んだ方が良いと父親がよく語っていたのが、すべての始まりで、彼のアドバイスは私に大きな影響を与えました。

高校生になった時、国際交流基金の研修プログラムで初めて日本を訪れました。1978年の話ですから、皆さんが生まれるはるか以前のことです。その後オーストラリアに戻り、シドニー大学で法律を勉強すると共に、日本での経験をもとに日本語や日本文学、日本の歴史を学びました。そして日本の大学に再び戻り、一年間留学して日本でホームステイを経験しました。

大学を卒業後、オーストラリア政府の外務貿易省に入省しました。1990年代と2000年代に外交官として、日本に駐在し、現在は駐日オーストラリア大使として3度目の日本赴任となっています。

日本で大使として、オーストラリアを代表する立場に就(つ)いている点を、大変幸運なことと受け止めております。日本は私にとって、第2の故郷です。このため日本とオーストラリアの関係に対しては、職務上の関心だけでなく、個人的な深い興味や愛着を抱いています。

自分自身を振り返ってみると、日本の大学で留学した経験が、その後のキャリアに大きな影響を与えたことを感じないわけにはいきません。

異なった国の文化に直接触れ、これを学ぶことは、自分についてよく知るまたとない機会です。こうした経験を通じて身につけた国際的視野や国際感覚は、かけがえのない財産となります。

ここにいらっしゃる皆さんは、オーストラリアやオーストラリア人についてどの程度御存知でしょうか? まだオーストラリアに行ったことのない方は、是非一度訪れてみて下さい。あるいは留学を実際に体験してみて下さい。私が経験したように、ひょっとしたらひとつの国、文化との長い、豊かな交流がそこから始まるかもしれません。

 

オーストラリア文化

オーストラリアという国には、既存の伝統と新しいものが交じり合った独特の多様な文化が息づいています。オーストラリアの先住民であるアボリジナルの人々やトレス海峡の島々の人達は、今も続く世界最古の文化的伝統を守り続けています。彼らは少なくとも4万年以上の間、オーストラリアの大地に暮らしています。

その他のオーストラリア人は、延べ200ほどの国々からやって来た移民、もしくは移民の子孫です。1788年に初めてのヨーロッパ人入植者がオーストラリアに移住して以来、年々その数は増え、オーストラリアの人口は1945年にはアングロ・ケルト系を中心に700万人前後に達しました。しかしそれ以降、67万5千人の難民を含む、650万人以上の移民がオーストラリアに移り住み、オーストラリアの社会や文化に大きな多様性をもたらしました。

現在のオーストラリアの人口は2,300万人近くに達しており、そのうちのおよそ25パーセントは、外国で生まれた人たちです。

御存知かもしれませんが、オーストラリアはスポーツが盛んな国で、実際に行うのも、観戦するのも共に人気があります。皆さんにもお馴染(なじ)みの競技としては、ラグビーや水泳、サッカーが挙げられます。私自身も、6月の、日本とオーストラリアが参加するワールドカップ・アジア最終予選を大変楽しみにしています。広く親しまれているスポーツとしては、他にイギリスから引き継いだクリケットがあります。こちらは、ちょうど日本の野球のような人気ぶりです。この他にも、わが国独自のオーストラリアン・フットボールが人気を集めています。この競技は、初期のラグビーとゲーリックフットボールを起源としています。

人々の暮らしを見てみますと、オーストラリアは都市部の住民が特に多い国で、人口の90パーセント近くがこうした地域に集中しています。また世界的に見て最も勤勉な国のひとつであり、OECDの調査では、最も労働時間の長い国のひとつに数え上げられています。しかしオーストラリア人は一方で、リラックスした親しみやすい、寛大な国民としても知られています。

次に食べ物について見てみましょう。オーストラリアは様々な種類の食べ物に恵まれていますが、日本と違い、歴史的にこれが典型的オーストラリア料理と呼べるものはありません。むしろオーストラリアでは、新しい文化が次々に新しい独自の味をもたらすことで、食文化が進化を遂げてきました。たとえば若いころに日本からやって来た、ワクダ・テツヤ氏は、日本食の持つ魅力を大いに取り入れたフランスの味を誇る「Tetsuya’s」をシドニーで開店させ、今や我が国を代表する最高級レストランのひとつとなっています。

ワインに関しては、オーストラリアはどんな食事にも合う、深い味わい、多くのぶどうの品種から幅広い個性をもったワインを生み出している点で世界的に知られています。濃厚な赤からフルーティーな白、スパークリング、デザートワインに至るまで、様々な味が楽しめます。将来的には、日本市場での売り上げを増やしていきたいと考えています。

 

経済

次に経済についてですが、オーストラリアは世界の先進国の中で、最も活況を呈している国のひとつです。この20年間にわたって、GDPは持続的な実質的成長を続けています。名目GDPでは現在世界で第12位、経済は多様化が進み、サービスや資源、農業部門がとりわけ好調です。

多くの先進国が世界金融危機以前のGDP水準を取り戻そうとあえぐ中、オーストラリア経済は金融危機が始まって以来、11パーセント近い伸びを記録しています。2012年9月までの一年間の経済成長率は、3.1パーセントでした。失業率は昨年11月までの一年間で平均5.2パーセント、これは現在のOECD諸国の平均8.0パーセントを大きく下回っています。世界経済の見通しが立たない中で、オーストラリア経済は引き続き堅調に推移すると見込まれています。これは公的債務レベルと失業率が低く、インフレが抑えられている一方で、ビジネス投資が引き続き盛んであるためです。

オーストラリア経済が好調である理由としては、以下の点が挙げられます。

  • 政府による財政規律の維持。
  •  金融機関の良好な業績。強固で独立性を保持した金融部門に加え、政府の規制が効果的に働いている点もあります。世界で最も格付けの高い9つの金融機関のうち、4つはオーストラリアの銀行です。
  • 貿易・投資環境における柔軟性と開放性。ビジネス成長やイノベーションを取り巻く経済政策の焦点が定まっています。
  •  企業に友好的な規制環境。このため、企業は拠点を置くにあたってのコストを抑制できます。
  • 日本や、世界経済成長のけん引役であるアジア諸国の貿易・経済との密接なつながり。これにより、国内での成長と雇用の増大が見込めます。

 

アジアの世紀におけるオーストラリア白書

アジアとの関係という点に関連して、ここでジュリア・ギラード首相が昨年10月に発表した「アジアの世紀におけるオーストラリア白書」について、取り上げてみたいと思います。白書では、オーストラリアの将来は、今後も続くアジアの変貌(へんぼう)と密接につながっていると書かれています。

白書は2025年を見据(みす)え、アジアの台頭を最大限活用するために、わが国が国内で行うべき政策のロードマップを提示しています。そしてアジア地域との、より緊密な経済統合が提唱されている他、戦略的、文化的、人的交流をより深めることの重要性が強調されています。

白書はこの30年間におけるアジアの発展について述べていますが、この過程で中心的役割を果たしていたのは勿論、日本でした。

オーストラリアは日本の成長やアジア地域への統合を通じ、多くを得ました。実際、オーストラリアと日本の関係は、わが国において地域で最も緊密で成熟した関係であり、アジア全体への関与を行っていく上で見本となるものであると、白書は述べています。

オーストラリアと日本の貿易関係には、長い歴史があります。20世紀の初めに日本はいち早くオーストラリアの羊毛の輸入国となり、1950年代にはわが国最大の羊毛輸出市場となっていました。日本の繊維産業に欠かせない存在であった羊毛は、20世紀のはじめに日本の成長を支えました。

1957年に当時としては画期的だった日豪通商条約が署名され、1960年代のはじめに、日本はオーストラリアの最大貿易相手国になりました。そしてこの地位は、その後40年間維持され続けました。

また日本からの投資は、西オーストラリア州ピルバラ地方における、わが国鉄鉱石産業の創成期の発展に欠かせないものでした。この他にも日本は、液化天然ガスの世界供給を行うノースウエスト・シェルフ・プロジェクトへの主要投資国として、資本参加を果たしました。またオーストラリアの農業・水産業にも大規模な投資を行っており、とりわけ穀物肥育牛(こくもつひいくぎゅう)の飼育やミナミマグロ養殖への投資は有名です。

これに対しオーストラリアは、長年にわたって信頼のおける食料の供給国としての地位を保ってきました。したがって、わが国にとって日本との関係は、これまでも、そしてこれからも非常に重要であり続けます。

 

オーストラリアの農業

ここで話題を変えて、オーストラリア農業の主な特色について、またオーストラリアがかつて行ってきた、あるいは今後も行っていく政策面での改革について触れていきたいと思います。また同時に、日本とオーストラリアの農業が直面している共通の課題についても少し取り上げます。

オーストラリアの農業は近代的で、効率性が高く、また輸出志向の強いものです。農業生産のうち約60パーセントは海外向けで、その大半はアジア市場に送られます。牛肉や小麦、羊毛、ワイン、酪農製品などが、輸出額の高い品目として挙げられます。オーストラリアは世界第2位の牛肉輸出国であり、小麦の輸出では世界第4位となっています。

農林水産業は全体で毎年GDPのおよそ2パーセントを占めており、約33万5千人の雇用を生み出しています。しかし農産品の輸出は、商品輸出全体の20パーセント程度に過ぎません。

オーストラリアの農場の数は13万5千ほどであり、95パーセント以上が家族経営となっています。

またこれは重要な点ですが、オーストラリアは島国であり、このため他国に存在する多くの病気が発症していません。特に、狂牛病(BSE)や口蹄疫(こうていえき)に関してはそうです。

面積で見た場合、オーストラリアは非常に大きな国です。世界で6番目の大きさです。放牧や乾地(かんち)農業、灌漑(かんがい)農業を含めると、国土の60パーセント近くが農業に利用されています。でも耕作に適した土地はわずか6パーセントだけで、ほぼ灌漑農業か放牧です。

またオーストラリアは非常に乾燥した大陸であり、降雨量や雨の時期が激しく変動します。旱魃(かんばつ)や洪水がごく自然に、頻繁(ひんぱん)に起こります。

熱帯気候の北部は、牛の放牧や園芸作物の栽培、さとうきびの生産に適しています。温帯地域は穀物や畜産物の生産を支えており、より乾燥した内陸部では、牛を中心とした低密度の放牧が行われています。一方、灌漑地域では果実や野菜、酪農品が生産されています。

オーストラリアで農地を拡大しようとする場合、非常に大きな制約となるのが水の確保の問題です。オーストラリアでは、降水の約89パーセントが蒸発して大気へと還元され、川や帯水層に向かう割合はわずか11パーセントに過ぎません。これは人間が住むどの大陸よりも低い数字であり、世界平均の65パーセントをはるかに下回ります。

また降水量の変動も、極めて極端です。わが国では2002年から旱魃が長く続いた後、2010年1月から2011年12月にかけて、オーストラリア史上最も雨の多い2年間が訪れました。これにより多くの洪水が発生し、旱魃に苦しんでいた農家の人々に新たな被害をもたらしました。

しかし一方で、雨量の増加は土の中の水分を上昇させ、国内の水の確保に大きな役割を果たしているマレー・ダーリング川流域の貯水率を押し上げました。これにより2011年度の冬は、かつてないほどの豊作となり、灌漑農業に従事する人々は恩恵を得ることができました。

オーストラリアのコメ産業もまた、灌漑水が利用できるかどうかに大きく左右されます。旱魃の最中にあった2006年には、コメの生産はわずか1万8千トンに過ぎませんでした。しかし2012年度の生産量は、百万トンに達すると予測されています。

このスライドからもわかるように、オーストラリアは様々な種類の食料を輸出しています。主な輸出品目としては小麦や牛肉、酪農製品、砂糖、ワインが挙げられますが、同時に果物や野菜、海産物なども数多く輸出しています。

20011年度の農産品輸出高は364億ドル(2.9兆円)でしたが、2012年度はこれより若干減少し、約360億ドルになると見込まれています。

生産品の価格に関してですが、オーストラリアの農家は国際市場の動向に影響を受けます。スライドからもわかるように、各生産品目が生み出す利益は、国際市場の動向によって毎年変わってきます。

オーストラリアの農産品は、世界中の国に輸出されています。わが国の農業がとりわけ焦点を当てているのは、北アジア、東南アジアの市場であり、アジアからの需要が増え続ける限り、こうした傾向は今後も続くと思われます。

このスライドでは、世界の各地域に対する最近のオーストラリアの農産品輸出額が示されています。

この10年間で農産品の輸出先が変化している点が、お分かり頂けるかと思います。例えば、中国への輸出は大きく伸びています。しかし日本は今なお、わが国にとって世界第2の輸出市場となっています。

先ほど指摘しましたように、オーストラリアは長年にわたって、信頼できる食料の対日供給国であり続けてきました。日本は2011年、オーストラリアの農産品全体の14パーセントを購入しました。

日本はオーストラリアにとって、群を抜いて最大の牛肉輸出市場となっており、わが国の牛肉輸出全体の3分の1ほどを占めています。また酪農製品についてもわが国の最大輸出市場であるほか、穀物や砂糖についても重要な輸出先となっています。

オージービーフや一部のチーズ、ワインを除けば、オーストラリアの農産品はそれほど目立たない、あるいはあまり皆さんに知られていないかもしれません。その多くは日本産のものと混ぜて使用され、日本で生産される食料の原料となっています。例えばオーストラリア産の粉ミルクは日本の牛乳と混ぜて、チーズやヨーグルト、他の様々な酪農加工品の生産に使われています。オーストラリア産の小麦はお馴染みの讃岐うどんをはじめ、麺類の生産に利用されます。オーストラリア産の大麦は、ビールや焼酎の生産に使われています。同様に、わが国の牧草飼育牛は北海道に送られて穀物飼料を与えられ、上質の和牛肉の生産に利用されています。実は農業だけではなくて、エネルギーもそうです。

 

オーストラリアの農業政策

オーストラリアの農業は今でこそ効率性が高く、競争力を保持していますが、いつの時代もそうであったわけではありませんでした。

第二次大戦後の時期、農家は価格統制や高い関税、市場管理といった数々の措置を通じて保護されていました。

しかしこの40年間を通じ、オーストラリアは農業の全体的な改革を着実に実行してきました。1970年代の初頭に、農業政策の焦点は、産業支援措置から農業における構造改革の実現へと移行しました。

1980年代の半ば、政府は世界経済の変化に対応してオーストラリア・ドルを変動相場制にし、金融市場の規制緩和を行いました。また農業分野を含めたオーストラリア経済の効率を高めるため、関税の削減を実行しました。

以来、農業の規制緩和は徐々に進展し、従来の所得支援措置がなくなって、生産者は市場と向き合わざるを得なくなりました。またこれに伴い、政策変更の影響を被る農家を支援する、構造改革適応プログラムが導入されました。その良い例が、酪農部門における規制緩和です。1980年代には、価格統制や販売方法に関する市場措置などの厳しい規制を受けていた産業でしたが、2000年7月には完全な規制緩和が実現しました。その全体的影響は、酪農家の減少という形で現れました。1980年に2万2千であったその数は、現在7千ほどになっています。しかし彼らの経営規模が拡大した結果、効率性は高まり、牛乳の生産量も増加しました。1990年以降、農家あたりの牛乳生産量は、毎年およそ5.5パーセントずつ増えています。

現在、オーストラリアの酪農家の手取り価格を決める最大の基準は、国際価格です。このため、彼らは非常に効率的な経営を要求されます。そして彼らは現在、毎年生産する牛乳のおよそ45パーセントを輸出にまわすことに成功しており、その多くは加工品として輸出されています。

農産品の関税は現在全体的に極めて低いか、もしくはゼロとなっています。生産とマーケティングに関する決定を行うのは、農家自身です。その数は減っていますが、経営規模は拡大しており、競争力や生産性、プロ意識のいずれもが以前と比べて高まっています。一方、改革は容易なものではありませんでした。既得権益を有する人々は、改革による調整過程がもたらす変化に抵抗しました。しかしオーストラリア農業の成長と現在の力こそが、わが国が行ってきた改革の価値を示しているといえます。

 

今日の農業政策

改革が行われた結果、オーストラリアの農家が受け取る補助金は、他の大半の先進国と比較して最小限のレベルとなっています。

ここにある数字は、各国で農家が政府から受け取る補助金の額をOECDが推定したもので、Producer Support Estimate−生産者助成推定額と呼ばれる指標です。

ここにある先進国の中で、オーストラリアはニュージーランドに次ぐ低い数字となっています。2011年、オーストラリア農家の収入に政府の補助金が占めた割合は3パーセントに過ぎず、しかもその大半は、旱魃被害への救済金でした。

これに対し、この数値は日本の農家の場合52パーセント、欧州連合(EU)の場合で18パーセントと極めて高くなっています。これでもこれらの数字は、以前と比べると下がっています。

このようにオーストラリアの農業政策は、農家に補助金を与えるのではなく、どうすれば彼らが競争力を保持したまま持続的経営を行えるのかに、焦点を絞(しぼ)っています。また農家が、気候の変動や他のリスク要因に対処する技術を身につけられるよう目指しています。オーストラリアは現在、人やモノの国内外移動を円滑化し、環境や人、動植物の健康へのリスクを管理する防疫、つまり疫病を防ぐ対策で極めて優れた成果を挙げています。こうした実績を、今後も維持できるよう努力していくつもりです。

オーストラリアはこれからも、農家や消費者側の変化に合わせた政策調整を行っていきます。現在も、オーストラリアの農業に関するいくつかの政策が展開されています。ここでは、この中の2つを皆さんに詳しくご紹介したいと思います。

 

防疫対策における改革

オーストラリアが将来にわたって世界でトップクラスの防疫対策を実施できるよう、政府は2008年にBeale Reviewと呼ばれる制度の再検証を行いました。この報告書は、わが国の防疫制度は十分機能しているものの、改善の余地があると指摘し、制度強化のための重要な改革を提案しました。

世界の需要の変化、顧客数や貿易量の増加、輸入相手国の数と輸入量の増大、人口の拡大、気候変動−これらはすべて、防疫に関するリスクを高めます。一方で、日本をはじめとする貿易相手国からは、オーストラリアの輸出品には検疫面での問題がないといった安心や安全を求める声がいっそう強まっています。

現在進行中の改革は、以下の5点を主眼としています。

  • 防疫管理に関する、リスクに根ざした対応の実施。政府が使える、限られた人的、物質的資源を、最もリスクの高い分野に集中させ、病気の発生をおさえます。
  • 防疫に関するリスクの連続的管理。国外や国境、国内を通じてリスクに対処します。
  • 関係する自治体や組織との連携強化。州や準州政府と効果的な責任分担を行い、産業界や税関などの組織との協力を深めます。
  •  情報や証拠に基づく活動。リスク内容のさらなる把握に努め、情報入手のための制度を整えます。
  • 近代的な法律、技術、資金体制、運営制度に基づく検疫活動。現在、検疫法に取って代わる新法案が、国会に上程されています。

オーストラリアはこうした改革について、現在日本をはじめとする貿易相手国と定期的な協議を行っています。

 

全国食料計画

もうひとつの主要政策として、ここで取り上げたいのは、オーストラリア政府は現在、国として初の全国食料計画を策定中であるという点です。

この計画は、サプライチェーンにおける食料関連政策の統合性や協調性、戦略性をより高める上で重要な一歩となります。既存の市場を中心とした食料システムは、だいたいうまく機能していますが、やはり長期的に正しい政策を確保していく必要があります。

オーストラリアは、世界の食料需要の増大や、消費者の高付加価値志向といった、今後数十年間に生まれる変化を最大限に活用できる立場に立つための準備をしていく必要があります。

オーストラリア政府はとりわけ、アジアにおける食料貿易関係を中・長期的に拡大し、食料輸出産業が新しい機会を上手く活用できるようにしたいと考えています。

わが国はまた、日本を含む重要な既存の貿易相手国にとって、信頼のおける安全で質の高い食料・農産品の提供先であり続ける所存です。この全国食料計画は、先ほど申し上げた「アジアの世紀におけるオーストラリア白書」が打ち出した枠組みと整合する内容です。

2012年7月にはグリーンペーパーと呼ばれる諮問(しもん)書が出され、これを機に全国でこの計画に関する地域会合が開催されました。そして400に上る要望書が提出されました。政府はこの時の会合で出た意見を考慮に入れた政策文書、すなわち白書を現在準備しています。

 

今後の課題

さてここで、より将来に目を向けてみたいと思います。オーストラリアの農業は今後も様々な課題に直面すると思われますが、面白いことに、その多くはここ日本で起きている問題と同じです。

 

生産性の向上

オーストラリアの大きな課題として、まずは農業の生産性向上を維持しなくてはならない点があります。生産性が高まれば、農家は交易条件が悪化しても利益を保てるため、この点は重要です。日本でも土地などの資源が限られる中で、生産性の向上が叫ばれており、同じ問題が起きているようです。

オーストラリアでは水や農地の利用に制約があり、気候をはじめとする変動要因が存在するため、今後の食料生産の増加は、生産性の向上にかかっています。

歴史的に見て、わが国ではとりわけ大規模畑作(はたさく)農家が生産性の向上を着実に行ってきました。しかしその伸び率は、1990年代半ばを境に低下しています。

このため政府は生産性を高めるべく、研究開発に引き続き力を入れるほか、技術訓練への支援を行っています。また構造改革への適応措置を推し進め、イノベーションを阻(はば)む規制の撤廃に努めています。

 

気候変動

オーストラリアはまた、気候変動の影響がもたらした農業の課題にも取り組んでいます。気候変動もまた、日本が取り組みを行っている分野です。

オーストラリア政府は、炭素排出の削減を推し進める農家を支援するプログラムをいくつか用意しています。

そのひとつが、低炭素農業イニシアチブと呼ばれる、政府の自主的な炭素排出権取引プログラムです。農家や地主は、排出量の削減や炭素の隔離を行うことで追加所得を得ることができます。

他にも、未来の低炭素農業プログラムと呼ばれる、延べ6年間にわたる資金提供制度が存在します。これは排出量削減技術の進歩により、土地が排出量削減や生産性の上昇のために利用されるようになったと認められる場合に適用されます。

他にも日本と同様、自然がもたらす課題にも対処しなくてはなりません。2011年の東日本大震災の被害に比べることはできませんが、わが国でも近年、数々の自然災害が発生しました。この2年間の降雨量の増加で、長らく続いた旱魃は収まったのですが、かわりにいくつかの地域で洪水が発生し、インフラや生産設備に被害が及びました。また北東部では熱帯サイクロンが発生し、バナナの生産が著しい影響を受けました。そして御存知かもしれませんが、現在は激しい熱波がわが国を襲っており、これを原因とした山火事で、農地や家畜が大きな被害を被っています。

 

農業人口の高齢化

日本と同様、オーストラリアの農家も労働人口が高齢化しており、いかにより多くの若者を農業に惹(ひ)きつけるかという問題は、両国共通の悩みです。わが国の農家の平均年齢は53歳で、他の職業全体の平均である40歳を大きく上回っています。65歳以上の農業従事者の数は、現在3万人を超えています。

このように日本とオーストラリアは農業で共通の課題に直面しているため、私たちはお互いから多くを学べるはずです。こうした分野で、両国間の対話がさらに進むよう願っております。

 

食料の安全保障 / EPA・FTA

この他に両国の間でより話し合いを行えるテーマとして、食料需要の増大にいかに対応するかという問題があります。食料の需要は、質と量の両面において高まっています。とりわけアジアでは所得の増大により、たんぱく質の豊富な食料と、より広範囲の野菜や果物に対する需要が増えると予想されます。

日本は長い間、食料の安定供給を確保するために食料自給率の増加を目指してきました。しかし実際には、自給率は1960年の79パーセントから、2010年には39パーセントにまで後退しています。自給が必ずしも、供給保証の同義語ではない点を認識する必要があります。今日のような相互依存が進んだ世界においては、いかなる国も食料の自給自足に努める必要はありませんし、現実にこれは不可能です。大事なのは供給が保証されることであり、このような保証を得る方法はいくつか存在します。

私はかつて、日本は食料の安全保障を強化するために、自給率の‘自’にあたる概念を拡大して、オーストラリアのように過去の経緯から安定的に供給を依存できる国を、この中に組み込んで考えてみてはどうかと提唱したことがあります。

アジアにおける食料需要の増大に対応しなくてはならない今、日本とオーストラリアの農家には、大きな機会が広がっています。生産を増やすと共に、その過程において効率性と持続性を高めなくてはなりません。そして国内であっても、海外であっても消費地に食料をいち早く、より安い値段で届ける必要が生じるでしょう。農産品や食料の貿易を妨げるものがあると、この課題に取り組むことが難しくなります。

オーストラリアは6年以上にわたって、日本との間で経済連携協定(EPA/FTA)を交渉してきました。日豪EPA/FTAが締結されれば、日本が必要とする食料にオーストラリアは今まで以上に責任を負うでしょう。そして、日本の食品業界が支払う原材料費は下がり、日本からわが国への農業や食品加工業に対する投資は促進されます。これにより、両国の生産者間の絆は深まることでしょう。また、オーストラリアの生産者は日本と消費の点で競合する他国を差し置いて、日本の買い手に農産品を売りやすくなります。日本は自らの市場向けの食料をより確保できるだけでなく、食品に使う原料としてこれを利用し、第三国の市場に輸出することもできます。

 

最後に

ここで、オーストラリアと日本は特別の強固な関係を構築しており、私自身、農業を含んだ両国の関係のさらなる強化に強く期待している点を改めて強調したいと思います。両国の農業は似たような問題を共有しており、私たちには、より緊密に協力できる機会が存在しています。両国は、お互いから多くを学べます。

最後に、冒頭でも申し上げましたが、皆さんにはぜひオーストラリアを訪れて頂きたいと思います。もしくは、留学を真剣に考えて頂ければと願っています。

オーストラリアの大学で、日本人学生を含めた留学生の数は全体の5分の1を占めています。わが国の大学は、世界的に高い評価を受けています。現在世界のトップ100大学に5つの大学が入っており、この数は国別で見るとアメリカ、イギリスに次いで多いものとなっています。

学生としての私の視野を広げてくれた日本での経験は、実に有意義なものでした。留学は、日本との長い関わりにおける土台を作ってくれました。

私自身が経験したように、こうした国際交流を通じ、皆さんひとりひとりが豊かになるだけでなく、私たちの社会や文化、経済がより豊かになっていくよう願っております。

有難うございました。