Australian Embassy Tokyo
在日オーストラリア大使館

ブルース・ミラー駐日大使講演 北海道 帯広畜産大学

2013年06月21日

 

本日このような形で講演する機会を頂き、誠に有難うございます。

日本の国立大学では唯一の、獣医農畜産系の単科大学である帯広畜産大学に来ることができ、大変嬉しく思います。

本日の講演では、皆さんにオーストラリアの農業について、また、わが国の農家が世界市場で競争力、効率性を保つために政府が、どのような支援を行っているかについてお話したいと思います。また、オーストラリアと日本の農業が共通して直面している幾つかの課題についても見ていきます。今年の初めには、川崎市の明治大学生田キャンパスで農学部学生の皆さんに、やはりオーストラリアの農業についてお話しました。今後もこのような機会を通じて、オーストラリアに興味を持って下さる学生さんを増やしていきたいと思います。

私自身、かつて日本に留学しておりました。本日はオーストラリア大使として日本語で講演させて頂きますが、これまでに至る経緯について、まずは簡単に御説明したいと思います。

 

経歴について

私が日本に初めて興味を抱いたのは、11歳の時でした。外国語を習いたいのであれば、アジアの言語を学んだ方が良いと父親がよく言っていたのを今でも覚えています。

高校生になった時、日本の国際交流基金の研修プログラムで初めて日本を訪れました。1978年の話ですから、皆さんが生まれるはるか以前のことです。その後オーストラリアに戻り、シドニー大学で法律を勉強すると共に、日本での経験をもとに日本語や日本文学、日本の歴史を学びました。そして日本の大学に再び戻り、一年間留学して日本でホームステイを経験しました。

大学を卒業後、オーストラリアの外務貿易省に入省しました。1990年代と2000年代に外交官として、日本に駐在し、現在は駐日オーストラリア大使として3度目の日本勤務を行っています。

今回、駐日大使に任命されたことに大変な幸運を感じています。日本は、すでに多くの古い友人もおり、私にとって、第2の故郷です。このため日本とオーストラリアの関係に対しては、職務上の関心だけでなく、個人的な深い興味や愛着を抱いています。

これまでのことを振り返ってみると、日本の大学で留学した経験が、その後のキャリアに大きな影響を与えたことを感じないわけにはいきません。

異なった国の文化に直接触れ、これを学ぶことは、改めて自分について考え、又よく知る良い機会です。こうした経験を通じて身につけた国際的視野や国際感覚は、かけがえのない財産となります。

以上、留学生としての私の個人的な経験について、またいかにこうした経験が、自分のキャリアにプラスとなってきたのかをお話しました。

そして、こうした経験があるからこそ、教育や科学分野における両国のつながりをより強くしていきたいと心から思っています。この点につきましては、また後ほど簡単に御説明します。

ここにいらっしゃる皆さんは、オーストラリアやオーストラリア人についてどの程度御存知でしょうか? まだオーストラリアに行ったことのない方は、是非一度訪れてみて下さい。あるいは留学を実際に体験してみて下さい。私が経験したように、ひょっとしたらひとつの国、文化との長い、豊かな交流がそこから始まるかもしれません。

 

オーストラリア文化

オーストラリアという国には、既存の伝統と新しいものが交じり合った独特の多様な文化が息づいています。オーストラリアの先住民であるアボリジナルの人々やトレス海峡の島々の人達は、今も続く世界最古の文化的伝統を守り続けています。彼らは少なくとも4万年以上の間、オーストラリアの大地に暮らしています。

その他のオーストラリア人は、延べ200ほどの国々からやって来た移民、もしくは移民の子孫です。1788年に大英帝国が、シドニー湾沿いに初のヨーロッパ人入植地を建設して以来、年々その数は増え、オーストラリアの人口は1945年にはアングロ・ケルト系、つまり、イギリスやアイルランドを故郷に持つ人々を中心に700万人前後に達しました。それ以降、ヨーロッパやアジアの戦争から逃れてきた67万5千人の難民を含む、650万人以上の移民がオーストラリアに移り住み、我が国の社会や文化に大きな多様性をもたらしました。

現在のオーストラリアの人口は2,300万人近くに達しており、そのうちのおよそ25パーセントは、外国で生まれた人たちです。

オーストラリアでもスポーツが盛んで、多くの人々がスポーツを行ない、友達と競技場やスポーツバーで観戦します。皆さんにもおなじみの競技としては、ラグビーや水泳、サッカーが挙げられます。先日のワールドカップアジア最終予選日本対オーストラリア戦では、皆さんもテレビなどで応援されたことと思います。日本は1−1でオーストラリアに引き分け、ブラジル本大会出場権を獲得しました。そして火曜日夕方シドニーで行われた試合で、オーストラリアもイラクを破り、本大会進出を決めました。来年またブラジルで、両国が共に戦うのが今から楽しみです。他に広く親しまれているスポーツとしては、古くからイギリスで行っていたクリケットがあります。こちらは、ちょうど日本の野球のような人気ぶりです。この他にも、わが国独自のオーストラリアン・フットボールが人気を集めています。興味のある方は、この聞きなれないスポーツについて、調べてみて下さい。

人々の暮らしを見てみますと、オーストラリアは都市部の住民が特に多い国で、人口の90パーセント近くがこうした地域に集中しています。また世界的に見て最も勤勉な国のひとつであり、OECDの調査では、最も労働時間の長い国のひとつに数え上げられています。しかしオーストラリア人は一方で、誰でも親しみやすい、寛大な国民としても知られています。

次に食べ物について見てみましょう。オーストラリアは移民が持ち込んだ、いろいろな種類の食べ物に恵まれていますが、日本と違い、歴史的にこれが典型的オーストラリア料理と呼べるものはありません。むしろ彼ら移民とともに、新しい文化が紹介されて、独自の味をもたらすことで、食文化が進化を遂げてきました。たとえば若いころに日本からやって来た、ワクダ・テツヤ氏は、日本食の持つ魅力を大いに取り入れたフランス料理店「Tetsuya’s」をシドニーで開店させました。そしてこれは、今やわが国を代表する最高級レストランのひとつとなっています。

ワインについても、いわゆるヨーロッパ産ではない、アメリカのナパヴァレーやニュージーランドとともに新世界のワインとして広く知られています。皆さんもスーパーで見かける、お手軽なものから、パリやニューヨークの高級店で出される貴重なものまで、フルボディーの赤やフルーティーな白、スパークリングにデザートワインと、様々な味が楽しめます。

 

貿易関係

オーストラリアは日本との関係を、非常に重視しています。昨年10月にわが国のジュリア・ギラード首相が発表した「アジアの世紀におけるオーストラリア白書」では、日本との関係は、わが国において地域で最も緊密で成熟したものであり、アジア全体への関与を行っていく上でお手本となると述べられています。

この白書では、オーストラリアの将来は、これからもアジアとともに歩んでいくと述べられています。この中では2025年までの、わが国が国内で行うべき政策のロードマップを提示しています。そしてこの政策によってアジア地域との、より緊密な経済統合が期待されているだけでなく、文化的、人的交流、及び貿易関係をより深めることの重要性が強調されています。

オーストラリアと日本の貿易関係には、長い歴史があります。20世紀の初めに日本はいち早くオーストラリアの羊毛の輸入国となり、1950年代後半にはわが国最大の羊毛輸出市場となっていました。日本の繊維産業に欠かせない存在であった羊毛は、20世紀のはじめに日本の成長を支えました。

1957年に当時としては画期的だった日豪通商条約が署名され、1960年代のはじめに、日本はオーストラリアの最大貿易相手国になりました。そしてこの地位は、その後40年間維持され続けました。

また日本からの投資は、西オーストラリア州ピルバラ地方における、わが国鉄鉱石産業の最初の発展に欠かせないものでした。この他にも日本は、液化天然ガスの世界レベルの供給を行うノースウエスト・シェルフ・プロジェクトへの主要投資国として、資本参加を果たしました。また牛肉と酪農、ミナミマグロの分野をはじめ、オーストラリアの農業・水産業にも大規模な投資を行っております。

これに対しオーストラリアは、長年にわたって信頼のおける食料の供給国としての地位を保ってきました。したがって、わが国にとって日本との関係は、これまでも、そしてこれからも非常に重要であり続けます。

 

オーストラリアの農業

さてここで話題を変えて、オーストラリア農業の主な特色について、またオーストラリアがかつて行ってきた、あるいは今後も行っていく政策面での改革について触れていきたいと思います。また同時に、日本とオーストラリアの農業が直面している共通の課題についても少し取り上げます。

オーストラリアの農業は近代的で、効率性が高く、また輸出志向の強いものです。農業生産のうち約60パーセントは海外向けで、その大半はアジア市場に送られます。牛肉や小麦、羊毛、ワイン、酪農製品などが、輸出額の高い品目として挙げられます。オーストラリアは、牛肉や小麦の世界最大輸出国のひとつとなっています。

農林水産業は全体で毎年GDPのおよそ2パーセントを占めており、約33万5千人の人々が働いています。しかし農産品の輸出は、商品輸出全体の20パーセント程度に過ぎません。

オーストラリアの農場の数は13万5千ほどであり、95パーセント以上が家族経営となっています。

またこれは重要な点ですが、オーストラリアはまわりを海で囲まれているという意味で島国と同じ状況であり、このため他の国に存在する多くの病気が国境を越えてやって来るということはありません。特に、狂牛病(BSE)や口蹄疫に関してはそうです。

面積で見た場合、オーストラリアは非常に大きな国です。世界で6番目の大きさです。

放牧や乾地農業、灌漑農業を含めると、国土の60パーセント近くが農業に利用されています。しかし乾地農業に利用されている土地は国土全体の3.3パーセントのみで、灌漑農業や集約的な家畜生産に利用されている土地は、全体の1パーセント以下となっています。

またオーストラリアは非常に乾燥した大陸であり、降雨量や雨の時期が激しく変動します。旱魃や洪水がごく自然に、頻繁に起こります。

熱帯気候の北部は、牛の放牧や園芸作物の栽培、さとうきびの生産といった農業活動に利用されています。温帯地域は穀物や畜産物の生産を支えており、より乾燥した内陸部では、牛を中心とした低密度の放牧が行われています。一方、灌漑地域では果物や野菜、酪農品が生産されています。

オーストラリアで農地を拡大しようとする場合、非常に大きな制約となるのが水の確保の問題です。オーストラリアでは、降水の約89パーセントが蒸発して空気中に戻ってしまい、川やため池、地下水に向かう割合はわずか11パーセントに過ぎません。これは人間が住むどの大陸よりも低い数字であり、世界平均の65パーセントをはるかに下回ります。

また降水量の変動も、極めて極端です。わが国では2002年から旱魃が長く続いた後、2010年1月から2011年12月にかけて、オーストラリア史上最も雨の多い2年間が訪れました。これにより多くの洪水が発生し、旱魃に苦しんでいた農家の人々に新たな被害をもたらしました。

しかし一方で、雨量の増加は土の中の水分を上昇させ、国内の水の確保に大きな役割を果たしているマレー・ダーリング川流域の貯水率を押し上げました。これにより2011-12年度は、かつてないほどの小麦の豊作となり、また灌漑農業にも良い影響を与えました。

オーストラリアのコメ産業もまた、灌漑水が利用できるかどうかに大きく左右されます。旱魃の最中にあった2007-8年度には、コメの生産はわずか1万8千トンに過ぎませんでした。しかし2012-13年度の生産量は、120万トンに近づくと予測されています。

このスライドからもわかるように、オーストラリアは様々な種類の食料を輸出しています。主な輸出品目としては小麦や牛肉、酪農製品、砂糖、ワインが挙げられますが、同時に果物や野菜、海産物なども数多く輸出しています。

2011-12年度の農産品輸出額は363.4億豪ドル(3.3兆円)でしたが、2012-13年度はこれより若干増加し、約370億豪ドルになると見込まれています。

生産品の価格に関してですが、政府による価格調整は行なっていません。よって、オーストラリアの農家は国際市場の動きに影響を受けます。スライドからもわかるように、各生産品目が生み出す利益は、国際市場の動向いかんによって毎年変わってきます。

オーストラリアの農産品は、世界中の国に輸出されています。わが国の農業がとりわけ焦点を当てているのは、北アジア、東南アジアの市場であり、アジアからの需要が増え続ける限り、こうした傾向は今後も続くと思われます。

このスライドでは、世界の各地域に対する最近のオーストラリアの農産品輸出額が示されています。

この10年間で農産品の輸出先が変化している点が、お分かり頂けるかと思います。例えば、中国への輸出は大きく伸びています。しかし日本は今なお、わが国にとって世界第2の輸出市場となっています。

先ほど指摘しましたように、オーストラリアは長年にわたって、信頼できる食料の対日供給国であり続けてきました。日本は2011-12年度、オーストラリアの農産品輸出全体の12パーセントを購入しました。

日本はオーストラリアにとって、群を抜いて最大の牛肉輸出市場となっており、わが国の牛肉輸出全体の3分の1ほどを占めています。また酪農製品についてもわが国の最大輸出市場であるほか、穀物や海産物、砂糖についても重要な輸出先となっています。

オージービーフやラム肉、一部のチーズ、ワインを除けば、オーストラリアの農産品はそれほど目立たない、あるいはあまり皆さんに知られていないかもしれません。その多くは日本産のものと混ぜて使用され、日本で生産される食料の原料となっています。例えばオーストラリア産の粉ミルクは日本の牛乳と混ぜて、チーズやヨーグルト、他の様々な酪農加工品の生産に使われています。オーストラリア産の小麦は讃岐うどんをはじめ、麺類の生産に役立っています。オーストラリア産の大麦は、ここ北海道を含め、ビールや焼酎の生産に使われています。同様に、わが国の牧草飼育牛は北海道に送られて穀物飼料を与えられ、上質の和牛肉の生産に役立っています。

オーストラリアは北海道の牛肉・酪農産業に対し、かなりの量の家畜飼料を供給しています。また北海道のラム肉産業のために、繁殖用の羊の提供を行っています。

 

オーストラリアの農業政策

オーストラリアの農業は今でこそ効率性が高く、競争力を保持していますが、いつの時代もそうであったわけではありませんでした。

第二次大戦後の時期、農家は価格統制や高い関税、市場管理といった数々の措置を通じて保護されていました。

しかしこの40年間を通じ、オーストラリアは農業の全体的な改革を着実に実行してきました。1970年代の初めに、農業政策の焦点は、産業支援措置から農業における構造改革の実現へと移行しました。

1980年代の半ば、政府は世界経済の変化に対応してオーストラリア・ドルを変動相場制にし、金融市場の規制緩和を行いました。また農業分野を含めたオーストラリア経済の効率を高めるため、関税の削減を実行しました。

以来、農業の規制緩和は徐々に進展し、従来の所得支援措置がなくなって、生産者は市場と向き合わざるを得なくなりました。オーストラリア政府はこのため、政策変更の影響を被る農家を支援する、構造改革適応プログラムを導入しました。こうした改革の良い例が、酪農部門における規制緩和です。1980年代には、価格統制や販売方法に関する市場措置などの厳しい規制を受けていた産業でしたが、2000年7月には完全な規制緩和が実現しました。

無論、政府は当時、こうした規制改革が農家や地元の酪農地域に与える影響について考慮していました。価格統制や販売をめぐる規制が撤廃されると、突然収入が大きく減る酪農業者が、数多く出現するためです。新たな市場の状況に対応していく上で、政府の支援は欠かせないものでした。

このため、全ての規制が2000年7月1日に撤廃されると同時に、政府は農家支援のために18億豪ドル相当の構造改革適応プログラムを発表しました。このプログラムは、改革の圧力に立ち向かう農家のための政府支援策として、これまでで最大規模のものです。

プログラムの資金源については、小売価格の低下と選択肢の拡大によって、最も恩恵を受けるのは消費者であることから、消費者が牛乳1リットルあたり11セント、日本円で約10円の賦課金を支払うのが最も公平であるとの結論に達しました。

こうして酪農生産者への財政支援や、廃業を決めた生産者への補助金、酪農が中心である地域への規制緩和適応のための支援金が全て、このプログラムによって賄われることになりました。

こうした規制緩和という市場の動きに対し、大半の生産者はどうしたかといえば、生産量を増やすことでこれに対処しました。彼らは乳牛の飼育数を増やし、補助飼料の利用のしかたを変えました。また牧草地の管理方法を改善し、水や肥料のより効率的な使用を試みました。そして補助飼料の使用拡大と牧草地管理技術の向上によって、牛乳の生産量は拡大していきました。

2年間に及んだ規制緩和を経て、農家あたりの牛乳生産量は業界全体で21パーセント増加しました。こうした変化は、あらゆる分野において見られました。生産量の増加を主にもたらしたのは、農家の経営規模の拡大です。これはより小規模で、非効率的、かつ高齢化した農家が廃業し、より効率性の高い大規模農家が土地や飼育数を拡大できたことから実現しました。

酪農業の規制緩和と農家への財政支援の恩恵を受けたのは、主に2つのグループでした。ひとつは、新しい自由化された環境では利益を生み出せないと廃業を決めた人々、もうひとつは、農業にとどまり利益を上げるために、拡大の道を選んだ人々です。最初のグループは酪農業を断念したとはいえ、財政支援によって前向きな形で、今後の具体的な選択肢を手に入れました。第2のグループは政府の援助を通じ、土地やインフラ、また飼育数拡大のための投資資金、あるいは収入源を多様化するための、農業以外への投資資金を確保できました。

 

今日の酪農産業

こうした規制緩和の全体的影響は、酪農家数の減少という形で現れました。ただ、この傾向は過去30年間にわたって見られたものです。1980年に2万2千であったその数は、2010-11年度には7千ほどになりました。しかし経営規模が拡大した結果、効率性は高まり、牛乳の生産量も増加しました。1990年以降、農家あたりの牛乳生産量は、毎年およそ5.5パーセントずつ増えています。

オーストラリアの酪農業者は現在、完全に規制のない環境で事業を行っており、彼らの手取り価格を決める最大の基準は国際価格となっています。このため、彼らは非常に効率的な経営を要求されます。そして彼らは現在、毎年生産する牛乳のおよそ45パーセントを輸出にまわすことに成功しており、その多くは加工品として輸出されています。

農産品の関税は現在全体的に極めて低いか、もしくはゼロとなっています。生産とマーケティングに関する決定を行うのは、農家自身です。その数は減っていますが、経営規模は拡大しており、競争力や生産性、プロ意識のいずれもが以前と比べて高まっています。一方、改革は容易なものではありませんでした。改革による調整過程がもたらす変化に抵抗した人々は、もちろんいました。しかしオーストラリア農業の成長と現在の力こそが、わが国が行ってきた改革の価値を示しているといえます。

こうしたオーストラリアの経験は、農業の再活性化を目指す日本にとって参考になるのではないかと思います。例えば北海道の酪農業を見てみると、十分な国際競争力を備えていると共に、アジアの成長市場に輸出する機会に恵まれています。北海道の農家一戸あたりの平均家畜飼育数は欧州連合(EU)に匹敵しており、繁殖を含め、進んだ技術が活用され、品質の高い酪農製品が生み出されています。また、十分な量の水が確保できるなど、オーストラリアと比べてはるかに有利な条件も揃っています。

 

今日の農業政策

改革が行われた結果、オーストラリアの農家が受け取る補助金は、他の大半の先進国と比較して最小限のレベルとなっています。

ここにある数字は、各国で農家が政府から受け取る補助金の額をOECDが推定したもので、Producer Support Estimate−生産者助成推定額と呼ばれる指標です。

ここにある先進国の中で、オーストラリアはニュージーランドに次ぐ低い数字となっています。2011年、オーストラリア農家の収入に政府の補助金が占めた割合は3パーセントに過ぎず、しかもその大半は、旱魃被害への救済金でした。

このようにオーストラリアの農業政策は、農家に補助金を与えるのではなく、どうすれば彼らが競争力を保持したまま持続的経営を行えるのかに、焦点を絞っています。また農家が、気候の変動や他のリスク要因に対処する技術を身につけられるよう目指しています。オーストラリアは現在、人やモノの国内外移動を円滑化し、環境や人、動植物の健康へのリスクを管理する防疫、つまり疫病を防ぐ対策で極めて良い成果を挙げています。こうした実績を、今後も維持できるよう努力していくつもりです。

オーストラリアはこれからも、農家や消費者側の変化に合わせた政策調整を行っていきます。

 

全国食料計画

私たちが現在行っている政策面での改革を、ここでいくつか御紹介します。

  • 今後も世界トップレベルの検疫体制や食料の安全を確保するための、防疫対策の強化
  • 気候変動により、今後さらに頻繁に起こると思われる旱魃の危険に対処するための、新たな旱魃対策の実施

そしてもうひとつ、最近の重要な政策として、ここで皆さんに御紹介したいのが、オーストラリアが初めて導入した全国食料計画です。

5月25日に発表されたこの計画では、政府の食料政策における将来の方向性が示されています。これは、先ほど御説明した「アジアの世紀におけるオーストラリア白書」が目標を掲げる中心事項のひとつです。

オーストラリアの食品産業が競争力や生産性、持続性を保ち、アジアの成長がもたらす機会を活用できるよう、本計画にはいくつかの新たなイニシアチブが盛り込まれています。オーストラリアの農業の未来は、日本と同様、世界市場で増大する需要を満たせるような、安全・品質の両面で価値の高い食品を生産していけるかにかかっています。

また本計画では、単に成長市場に輸出を増やすだけでなく、オーストラリアの食品を世界に名だたるブランドに高めていこうとしています。高品質で革新性、安全性を備えた食品やサービス、技術を指すブランドとしてです。これは、質の高い日本の食材の普及を目指す‘クールジャパン’の推進とも共通する点があります。

また、オーストラリアの教育課程において、食育教育に資金を提供するプログラムが最近発表されました。これはオーストラリアの生徒が、食材の生産地や生産方法、また生産者の果たす役割の重要性をより深く理解するためのプログラムです。こうした活動が、将来より多くの学生が農業の道に進むきっかけになればと思います。またオーストラリアは、食品業界に就職を希望する人々の研修にも、資金を提供しています。

わが国ではこの他にも、アジア地域における食料のニーズや、アジアの人々の嗜好をより深く理解するための研究が盛んに行われています。また食料関連のインフラ整備に投資を行っているほか、企業や政府のインフラ開発計画を支援する調査も行っています。さらに企業のコスト削減努力に貢献できるよう、不要な規制の撤廃に関する調査も実施しています。

この全国食料計画が特に重視しているのは、わが国は日本を含む重要な既存の貿易相手国にとって、信頼のおける安全で、質の高い食料・農産品の提供先であり続けるという点です。

 

今後の課題

全国食料計画はまた、オーストラリアの農業が今後も直面する課題にも焦点を当てています。そして面白いことに、こうした課題の多くはここ日本で議論されるべき事柄と同じです。

 

生産性の向上

オーストラリアの大きな課題として、まずは農業の生産性向上を維持しなくてはならない点があります。生産性が高まれば、農家は交易条件が悪化しても利益を保てるため、この点は重要です。日本でも土地などの資源が限られる中で、生産性の向上が叫ばれており、同じ問題が起きているようです。

オーストラリアでは水や農地の利用に制約があり、気候をはじめとする変動要因が存在するため、今後の食料生産の増加は、生産性の向上にかかっています。

歴史的に見て、わが国ではとりわけ大規模畑作農家が生産性の向上を着実に行ってきました。しかしその伸び率は、1990年代半ばを境に低下しています。

このため政府は生産性を高めるべく、研究開発に引き続き力を入れるほか、技術訓練への支援を行っています。また構造改革をスムーズに受け入れられる様な措置を推し進め、イノベーション、つまり新たな価値の創造を生むことを阻む規制の撤廃に努めています。

 

気候変動

オーストラリアはまた、気候変動の影響がもたらした農業の課題にも取り組んでいます。気候変動もまた、日本が取り組みを行っている分野です。

オーストラリア政府は、炭素排出の削減を推し進める農家を支援するプログラムをいくつか用意しています。その一例をして挙げられるのが、低炭素農業イニシアチブと呼ばれる、政府の自主的な炭素排出権取引プログラムです。農家や地主は、排出量の削減や炭素の隔離を行うことで追加所得を得ることができます。

他にも日本と同様、自然がもたらす課題にも対処しなくてはなりません。2011年の東日本大震災の被害に比べることはできませんが、わが国でも近年、数々の自然災害が発生しました。この2年間の降雨量の増加で、長らく続いた旱魃は収まったのですが、かわりにいくつかの地域で洪水が発生し、インフラや生産設備に被害が及びました。また北東部では熱帯サイクロンが発生し、バナナの生産が著しい影響を受けました。この他、現在もいくつかの地域において、旱魃期に再び入る兆候が現れています。

 

農業人口の高齢化

日本と同様、オーストラリアの農家も労働人口が高齢化しており、いかにより多くの若者を農業の従事に向かわせるかという問題は、両国共通の悩みです。わが国の農家の平均年齢は53歳で、他の職業全体の平均である40歳を大きく上回っています。65歳以上の農業従事者の数は、現在3万人を超えています。先ほど述べましたように、全国食料計画では、農業に就くよう若者に働きかける取り組みに力を入れています。

このように日本とオーストラリアは農業で共通の課題に直面しているため、私たちはお互いから多くを学べるはずです。こうした分野で、両国間の対話がさらに進むよう願っております。

 

食料の安全保障 / EPA・FTA

この他に両国の間でより話し合いを行えるテーマとして、食料需要の増大にいかに対応するかという問題があります。食料の需要は、質と量の両面において高まっています。とりわけアジアでは所得の増大により、たんぱく質の豊富な食料と、より広範囲の野菜や果物に対する需要が増えると予想されます。

日本は長い間、食料の安定供給を確保するために食料自給率の増加を目指してきました。しかし実際には、自給率は1960年の79パーセントから、2010年には39パーセントにまで減少しています。ひとつの考えとして、国内での自給だけが必ずしも、いざという時の食料確保の源ではない、ということもあります。今日のような経済連携が進んだ世界においては、国際競争力のある生産物に特化することは可能です。その一方で大事なのは、必要なものが必ず供給されることであり、このことが確かに約束される方法がいくつか存在します。

私はかつて、日本は食料の安全保障を強化するために、自給率の‘自’にあたる概念を拡大して、オーストラリアのように過去の経緯から安定的に供給を依存できる国を、この中に組み込んで考えてみてはどうかと提唱したことがあります。

アジアにおける食料需要の増大に対応しなくてはならない今、日本とオーストラリアの農家には、大きな機会が広がっています。生産を増やすと共に、その過程において効率性と持続性を高めなくてはなりません。そして国内であっても、海外であっても消費地に食料をいち早く、より安い値段で届ける必要が生じるでしょう。農産品や食料の貿易を妨げるものがあると、この課題に取り組むことが難しくなります。

オーストラリアは6年以上にわたって、日本との間で経済連携協定(EPA/FTA)を交渉してきました。日豪EPA/FTAが締結されれば、日本の食品業界が支払う原材料費は下がり、日本からわが国への農業や食品加工業に対する投資は促進されます。これにより、両国の生産者間の絆は深まることでしょう。また、オーストラリアの生産者は日本と消費の点で競合する他の国を差し置いて、日本の買い手に農産品を売りやすくなります。日本は自らの市場向けの食料をより確保できるだけでなく、食品に使う原料としてこれを利用し、第三国の市場に輸出することもできます。食料の輸出入取引は経済的理由から行うのであって、政治的に決定するものではありません。

日豪EPA/FTAはまた、日本企業によるオーストラリアの農業、食品加工業への投資をよりいっそう促します。これにより、安全で質の高い農産物が日本に輸出され、日本の食料安全保障への貢献が可能となります。

したがって、皆さんがオーストラリアとのEPA/FTAを恐れる理由は全くありません。先ほども触れましたが、わが国の酪農業は効率化が進み、世界中の国々に輸出を行っています。しかし一方で、酪農に適した土地や水が不足しているために、生産を拡大できる余地は限られています。このような制約の中で、持続的な生産を維持していくために、わが国は今後も効率性の向上に力を入れていくでしょう。

牛肉に関してですが、オーストラリア産は日本産の牛肉と直接に競合していません。オージービーフと日本で親しまれている和牛とでは、市場の棲み分けがなされています。北海道で生産される乳用種オスの牛肉が、オーストラリア産と直接競合しているとよく言われますが、実際は、脂肪の色により簡単に見分けがつきます。小売店においても、日本の消費者は国産の方を好んで購入しています。これに対しオージービーフは、大半が外食サービス向けに購入されています。

同様に、わが国の果物や野菜の輸出も、日本産との競合とは無縁です。オーストラリアは南半球に位置しており、日本産とは収穫の時期が一年で全く異なります。

実際、北海道の酪農業者の皆さんは、日豪EPA/FTAを通じて恩恵を得ることができます。EPA/FTAが締結されれば、オーストラリアからの輸入穀物の価格が下がるため、酪農業者、牛肉生産者の主な原材料費である家畜飼料の値段を抑えられるためです。

またここで、環太平洋パートナーシップ(TPP)についても触れておきたいと思います。オーストラリアは、日本のTPP交渉参加を歓迎します。包括的で志の高い地域の自由貿易協定実現のために、日本や他の交渉参加国と共に行動していければと考えています。

 

最後に

ここで、オーストラリアと日本は特別の強固な関係を構築しており、私自身、農業を含んだ両国の関係のさらなる強化に強く期待している点を改めて強調したいと思います。両国の農業は似たような問題を共有しており、私たちには、より緊密に協力できる機会が存在しています。両国は、お互いから多くを学べます。

最後に、冒頭でも申し上げましたが、皆さんにはぜひオーストラリアを訪れて頂きたいと思います。もしくは、留学を真剣に考えて頂ければと願っています。

農業学や科学は、オーストラリアと日本がごく自然にパートナー関係を構築してきた分野です。

オーストラリアの大学では、今や5人に1人が留学生です。これは、日本と比較してわが国の高等教育の規模は小さいものの、非常に質の高い教育を提供しているためです。

わが国の大学の半分以上は、現在世界のトップ500大学の中に入っています。

また最新の世界の大学トップ100に入っている大学の数において、オーストラリアは世界第3位となっています。

学生としての私の視野を広げてくれた日本での経験は、実に有意義なものでした。留学は、日本との長い関わりにおける土台を作ってくれました。

私自身が経験したように、こうした国際交流を通じ、皆さんひとりひとりが豊かになるだけでなく、私たちの社会や文化、経済がより豊かになっていくよう願っております。

有難うございました。