Australian Embassy Tokyo
在日オーストラリア大使館

日豪友好協力基本条約署名50周年記念スピーチ

ペニー・ウォン

オーストラリア政府外務大臣

 

日豪友好協力基本条約署名50周年記念スピーチ

2026年6月30日

オーストラリア国会議事堂、キャンベラ

 

(冒頭の謝意は省略)

 

日豪友好協力基本条約署名50周年を祝うべく、友人である皆様方とご一緒できることを光栄に思います。

私たちはまた、豪日交流基金創立50周年を祝福します。

こうした大きな節目は、政府や財界、学界、芸術、科学、スポーツなどを含め、日豪の社会のあらゆる分野にまたがる関係を反映します。

このことは、今夜この場所でもよくわかります。

未来に目を向ける前に、これまでの道のりを振り返りたいと思います。

1970年代初頭、日豪関係は栄えていましたが、ほとんどが貨物船を通じたものでした。

オーストラリアの鉄鉱石と石炭は、日本の新しい製鉄・鉄鋼業の成長を支えていました。

またトヨタやダットサンといった日本のブランドが、オーストラリア市場に足場を得ようとしていました。

しかし、貿易だけでは単なる取引に過ぎません。友好関係には、さらなる何かが必要です。

日本はこのパートナーシップの拡大を模索していました。ゴフ・ウィットラム首相はそこに可能性を見出しました。

1973年10月、ウィットラム首相は古都である奈良を訪れました。現在の日本の高市首相の出身地です。

今夜はまた、奈良県が地元である堀井副大臣、および仲川元庸奈良市長も同席されています。

ウィットラム首相は奈良にある仏閣や、灯篭に照らされた参道を歩いた際、奈良の名を冠した条約のアイディアを思いつき、提案に踏み切りました。

彼はこの年、このように訴えました。“オーストラリアと日本ほど、繁栄をお互いに依存しあっている国同士は非常に少ない。私たちはこの点をもっと率直に、正式な形で認めるべきだ。”

ウィットラム首相は、日豪友好協力基本条約が署名される前に解任されました。この野心とコミットメントは、マルコム・フレーザー首相に引き継がれ、彼の功績となりました。

これはまた、対日関係に対する党派を超えた持続的な支援を示すものでした。

フレーザー首相は1976年6月16日、三木武夫首相と共に本条約に署名しました。

ゴフ・ウィットラム、マルコム・フレーザー両首相は、実体験に根ざした深い個人的な動機を有していました。

戦時中、ウィットラム首相はオーストラリア空軍で北方防衛に従事しており、フレーザー首相は紛争で一変した世界で成年に達しました。

両首相は、わが国の未来はこの地域にある点を理解していました。

わが国の運命は地域の平和と繁栄にかかっており、私たちは平和と繁栄を謳歌できる状況を作るために取り組まなくてはならない点を、彼らは理解していました。

日本側と同様、両首相は友好と協力の価値を理解していました。

私たちは以来半世紀にわたって、日豪関係をさらに深めてきました。

日本の鈴木大使が最近述べたように、“本条約は、ビジョンと信頼についての歴史的な行動を示すものでした。”

港や波止場で始まった関係は、国民生活のあらゆる側面に行き渡るものになりました。

オーストラリアは日本にとって、数十年にわたりエネルギーや資源、食料の信頼できる供給先であり続けています。

一方、日本の投資は、わが国の経済の基盤を作る役目を果たしてきました。

船だけでなく、学生や科学者、姉妹都市、スポーツチーム、芸術家、起業家も訪問・実現するようになりました。

日豪の研究者は今日、時空のさざ波である重力波を共に聞いています。

豪日交流基金の支援を受けているわが国のライフセーバーは、日本の学生に水中の安全や生存方法について教育しています。

両国には奈良市の姉妹都市であるキャンベラを含め、100を超える自治体の姉妹提携が存在します。

わが国のメディアは、オーストラリア国民は日本への渡航に“はまっている”と報道しています。日本への観光客は昨年記録的な数字となり、百万人を突破しました。

また日本語は引き続き、わが国の学校で最も学ばれている外国語のひとつであり、新しい世代に日本や日本文化を紹介しています。

信頼によって定義された本条約から数十年の間に、両国は良い時も悪い時もお互いを頼るようになりました。

2011年の東日本大震災発生時、ジュリア・ギラード首相は被災地を訪れた最初の外国首脳となりました。彼女はこの時、食糧支援や寄付、地上の救助隊などの支援を約束しました。

オーストラリアでブラックサマーと呼ばれる森林火災が起きた際には、日本は自衛隊輸送機2機を派遣し、わが国の対応や復興に真の貢献を果たしてくれました。

2014年の特別な戦略的パートナーシップの構築以降、2022年の安全保障協力に関する日豪共同宣言や2023年の日豪円滑化協定発効を経て、日豪は強靭性や安定を高め、地域全体での平和を確保するために、より緊密な協力を行っています。

ちょうど先月、アルバニージ—首相は、高市首相による両国のパートナーシップをさらに引き上げる歴史的訪問を歓迎しました。この際に新たな経済安全保障協力に関する日豪共同宣言、エネルギー安全保障や重要鉱物、サイバー、防衛に関する協力の強化、今後の展開についての新しい日豪リーダーシップ対話の設立が打ち出されました。

アルバニージ—首相が訪問中に振り返ったように、世界は1976年以降大きく変わりましたが、両国の友情の力は“かつてない程強くなっています”。

これらのすべてからわかるのは、本条約の主旨が半世紀前と同様、現在にも通用しているという点です。

たとえ世界や私たちの地域が、非常に変わったように見えていてもです。

私たちは、紛争や競争を各方面で見ています。

繁栄や安全に欠かせないルールや規範が、挑戦を受けています。

私たちの生活は、気候変動や急速な技術的変化、誤情報や偽情報から新たな脅威を受けています。

オーストラリアと日本は協働の道を選んでいます。

これは燃料やガスを含めた必需品を確保するためであり、エネルギー安全保障を強化し、強靭な重要鉱物のサプライチェーンを構築するためです。

また日本の三菱重工業が、わが国にもがみ能力向上型フリゲート艦を今後提供する中で、オーストラリア国防軍と自衛隊の相互運用性を深めるためです。

さらに両国のサイバー防衛を強化し、サイバー脅威に対する私たちの地域の強靭性を高めるべく協力するためです。

また、地域の平和や安定、繁栄を構築するためです。

日豪友好協力基本条約を起草した人々が、両国の繁栄の共有で大きく変わった暮らしを想像できていたとは思えません。

それらの注意深く書かれた数ページの草稿において、これらの起草者は何を可能にしたのでしょうか。

今夜ご列席の皆さまが推し進めている、今日も続いている取り組みとは何でしょうか。

それこそは、両国および両国民による持続的な平和と友情が作り上げた共有する未来です。これまで以上の強さや繁栄、重要性を持つパートナーシップです。

ありがとうございました。