
神奈川県横浜市にある「日吉の森庭園美術館」。ここはオーストラリアとの縁の深い彫刻家・田辺光彰氏の思想と作品を受け継ぐ場所です。彼が生涯をかけて描いたテーマは「野生稲」。人類の根源的な食と環境を問う創作活動は、やがてオーストラリアの大地へと広がり、全長82メートルの巨大な「籾」の作品へと結実しました。突然の死によって未完となっていたオーストラリア・ダーウィンにある田辺光彰氏の作品を完成させるプロジェクトを企画、実施した息子の田辺陵光さんに、父・光彰氏の遺志を伝え続ける現在の活動について聞きました。
未完の彫刻作品がオーストラリアの大地に遺された
——陵光様の現在の活動と日吉の森庭園美術館について教えてください。
日吉の森庭園美術館では、私の実父である彫刻家・田辺光彰の作品及び、その制作に大きな影響を与えた収集資料を常設展示しています。私はここで学芸員をしながら、2015年に亡くなった父・光彰の作品の普及活動のほか、400年続く日吉の森の維持活動に力を入れています。

オーストラリアとの関係を語るうえで、まず彫刻家・田辺光彰についてご説明する必要があると思います。戦前の1939年に生まれた父は、「野生動植物の自生地保全」をテーマに、巨大なスケールの作品を世界各地に遺して、2015年3月30日にこの世を去りました。2014年1月に心筋梗塞で倒れ翌年3月に他界しました。当時76歳でしたが、倒れる当日まで元気に創作活動をしていました。
当時、私のほうは400年続いた旧家として守られてきた文化財や自然環境を次世代に伝えるための美術館設立に向け会社員を辞めその準備をしておりました。個性的な芸術家である父とやっと酒を酌み交わすような関係を築けるようになった時期だったので、光彰が倒れ意思の疎通が出来なくなった事に絶望しました。しかし、光彰の悲願であった美術館設立に向け自分を奮い立たせ、開館にこぎつけました。開館から4か月後、光彰は亡くなりました。光彰の死後、頭をよぎったのが、オーストラリアで制作中だった未完の作品群のことでした。

田辺光彰美術館内にて
人類生存の象徴として「野生稲」を追いかけた父
——彫刻家・田辺光彰氏とオーストラリアの関係について、詳しくお聞かせください。
彫刻家・田辺光彰は、造形作家というではなく、野生動植物を強く意識して、メッセージを発信するアーティストでした。光彰の作品の主なテーマは、自然環境や生態系の保全。そのため生態系の重要な一員ではあるが人々に嫌われている、トカゲやヘビなどをモチーフにした巨大な作品もあります。中でも父がライフワークと位置づけていたのが、「野生稲の自生地保全」でした。
野生稲に関心を持ったきっかけは、横浜市内にある極楽寺というお寺の住職との会話だったようです。米というのは日本人にとって非常に重要な食べ物であり、世界でも多くの人が食べています。米は「舎利」とも呼ばれ、お釈迦様の骨と同じ意味を持つほど神聖なものでありながら、これをテーマにした芸術作品がほとんどない。それなら、日本人として米を表現するべきではないか——そこから、単なる食材ではなく、「人類生存の象徴」としての野生稲を追いかけるようになっていきます。それが1980年代後半の頃です。

「MOMI-1992」(1992年)
光彰は野生稲の研究者で農学者である佐藤洋一郎氏(現・ふじのくに地球環境史ミュージアム館長)らと東南アジア諸国を訪れ、野生稲の調査・研究を進めるなかで、タイ、中国、インド、ネパール、フィリピンなどでの作品づくりを通して、野生稲自生地の保全を訴え続けました。野生稲の自生地保全の意義は、簡単に言うと、野生稲は最初の稲なのでとても変化する遺伝子を持っている、つまり現在の急激な気候変動や人口爆発などで今のお米では対応できない事態となった場合、この野生稲が将来の品種改良に役立つ貴重な遺伝資源を持っており、人類を救う新しい稲を作るきっかけとなる可能性があるという事です。その自生地は急速な都市化に伴い絶滅の危機に瀕しているそうです。野生稲の重要性は各地で認められ、野生稲を描いた「MOMI」の作品群には、タイ王室に収蔵されているものもあります。そんな創作活動のなかで、生涯の制作と位置づけたのが、オーストラリアにおける野生稲自生地保全プロジェクトでした。
オーストラリア北部準州(ノーザンテリトリー)には、広大な野生稲の自生地があることが1978年の日本人野生稲研究者・岡彦一博士の調査によって明らかになっていました。しかも、周辺でコマーシャルライス(商業用のコメ)が栽培されておらず、より純粋な遺伝子が残っていました。この事実に注目した光彰は、東京にあるオーストラリア大使館を訪れ、野生稲自生地を保護する芸術作品をつくるために、現地を視察したいと申し出ました。これに対し、当時のオーストラリア大使館の農務部において公使−参事官だったビル・ウィザーズさん、シニア・リサーチ・オフィサーだった中村智子さんに快く対応いただき、2003年に初めて、目的地である北部準州とクイーンズランド州の野生稲自生地を訪れることができました。そこから、光彰はオーストラリアの大地を舞台に多くの作品を手がけていきます。
豪日交流基金の助成を受けて巨大彫刻作品に挑んだ
——当初、作品づくりにおいて、オーストラリア大使館からの協力も得ていたようですね。
そうですね。まず、光彰は2006年にクイーンズランド州マリーバウェットランド(湿地帯)に野生稲自生地保全を強く訴える巨大なトカゲの彫刻作品を州政府の許可のもとで設置しました。「KADIMAKARA(爬虫類・MOMI-2006)」と名付けられたこの作品は、全長19m、重さ約11tのステンレス製で、野生稲の自生地保全に対する父の壮大な想いが反映されています。また、人類が存在する前から巨大な爬虫類がこの地にいたという事実を示すもので、「人間は特別な存在ではない」というメッセージでもあったようです。

「KADIMAKARA(爬虫類・MOMI-2006)」(2006年)
北部準州においては、州政府関係者の方々との話し合いを進めるなかで、2005年にダーウィンからカカドゥ国立公園に向かう中間点の湿地帯にあるマウントバンディーエリア玉石群(御影石)に彫刻を施す許可をいただくことができました。アボリジナルの人々の聖地であるこの地で作品づくりの許可を得られたのは、オーストラリア大使館の皆さんのご尽力が大きかったと思います。
父はその地で野生稲とそれを取り囲む動物、植物をテーマにした彫刻を彫り続けていきます。その制作は、2004年から2014年にかけて、年に1か月ほど計10回にわたって行われました。その間に、豪日交流基金の助成対象プロジェクトにも選出され、サポートいただいたと聞いています。とにかく父は、年に1度、オーストラリアに行くのが本当に楽しみだったようで、いつもワクワクしていたのを覚えています。世俗から解放され、作品づくりに没頭できる理想の場所だったのではないでしょうか。
光彰が倒れたのが2014年。オーストラリア・ダーウィンへ今年も行く計画を既にしていました。アシスタントとして彫刻家の明田一久氏の同行が決まっていました。前年に「これで終わり」と言って現地に行ったのに、結局、新しい作品の下絵を石に掘って帰ってきて、「これでもう一度行ける」と言っていました。作品は未完成のまま残されました。アリ、トカゲなどさまざまなモチーフの作品が現地にはあり、最大のものは全長82mの籾を描いた彫刻作品でした。しかし、昨年下絵が描かれた未完成作品をどうすべきか……私はそれをどうにかして完成させようと考えました。今、思い返すと父が亡くなったショックで、かなり感傷的になっていた気がします……と決断を後悔するくらいそれはとにかく大変過酷な作業だったのです(笑)。
——ダーウィン郊外の遺作を完成させるまでのエピソードをお聞かせください。
父が亡くなった翌年の2016年8月に、豪日交流基金の助成を受けて、ダーウィン郊外のマウントバンディーエリア玉石群を訪れ、光彰とオーストラリアの作品制作を経験した彫刻家山添潤氏と2014年に同行を予定していた明田一久氏の2人とともに、約1か月間かけて、未完成だった光彰の作品を仕上げました。光彰の素描を参考にしながら、全長6mほどの下絵だけだった昆虫の作品をグラインダーで削ったり、ノミと金槌で打ったりして、ようやく完成と呼べる状態までたどり着きました。
現地は乾季で、作業は連日37度の炎天下のなかで行われました。落ちていた太い枝を支柱にして、シートを張って日陰をつくり、汗みどろで御影石と格闘したのをよく覚えています。初日にいきなり激しいカミナリに遭って「これは死ぬかもしれない」と本気で思ったり、そのカミナリでホテルのWi-Fiが壊れて、100km先のハンバーガー店まで連絡を取りに行ったりもしました。過酷な条件のなか、野生稲自生地保全を訴える作品づくりを続けた父の熱意を実感できましたね。
芸術家らしい異常な集中力で巨大な作品を生み出した
——生前のお父様(光彰氏)はどのような方でしたか? 印象に残るエピソードがあれば、教えてください。
一言で言うと「普通の価値観では測れない人」でした。とにかくスケールが大きくて、真面目で、損得勘定というものがまったくない。何かをやると決めたら、それが合理的かどうかではなく、「自分がやるべきだと思ったかどうか」で動き出し、自分の表現や探究を常に考えている人でした。ただ、今振り返ると、その“極端さ”があったからこそ、あれだけの作品が生まれたのだと思います。

特に印象的なのは、芸術家らしい異常な集中力ですね。一度制作や調査に入り込むと時間の感覚がなくなるみたいで……。周りがどれだけ声をかけても気づかないこともあったそうです。海外での野生稲のフィールドワークでも、国境を越える時間が決まっているのに、それを忘れて作業に没頭してしまい、周囲をヒヤヒヤさせたという話も聞いています。
——豪日交流基金の助成によって得られた人的ネットワークや新たな交流活動などはありましたか?
2017年に、当時のノーザンテリトリー産業開発局長だったマレー・ハードさんが来日して、日吉の森庭園美術館まで父の作品を見に来てくれました。最近では、2016年のダーウィンでの作業中に滞在したホテルのオーナー夫妻が2024年に遊びに来てくれました。その際は、横浜周辺にある父の代表的な作品を案内しました。彼らが運営するダーウィンのホテルには、父の作品の大きな写真が飾られていて、今も作品の紹介をしてくれています。また、作品完成後、現地では北部準州議会議員で当時議長であったKEZIA PURICKが議会において光彰の偉業を称え、現地を保存していく声明を残してくれました。大変ありがたい事です。
「ルーツを守ること」はどのような意味を持つのか?
——日吉の森庭園美術館を拠点として、またオーストラリア現地の作品群を発信地として今後の活動ビジョンがあれば、お聞かせください。
今後の活動を考える上で、大きな軸になるのは「自分たちのルーツをどう守るか」ということだと思っています。ここでいうルーツとは、単に父の作品や美術館・400年の歴史だけではなく、人類にとっての根源的な存在である「野生稲」、そして、それが生きている環境そのものを指します。
父がやろうとしたことは、単に「稲をテーマにした彫刻をつくる」ことではありません。野生稲という、いわば栽培される以前の「原種」が存在する場所、その自生地をどう守るかという問題と向き合っていたのです。そこには、稲だけではなく、クモやアリ、蛇やトカゲといった、人間にとってはあまり好ましくない生き物も含めた生態系全体が関わっています。つまり、父にとっての作品というのは、単体の彫刻ではなく、「環境そのもの−人類の生存」だったと思うのです。

下田町四丁目公園そばの「BIRD−野生植物 (日吉)」とともに。これも周りの環境と一体となって完成する作品の一例
だからオーストラリアでも、あえて都市ではなく、ダーウィンからケアンズにかけての人里離れた場所にこだわった。野生稲が実際に存在しているその場所に、作品を置くことに意味があったわけです。例えば、今の時代は「種子を保存する」という考え方が一般的になっています。冷凍保存しておけばいいという発想です。父は、それだけでは不十分だと考えていました。種だけを保存しても、その種が本来生きていた環境が失われてしまえば、本当の意味での保全にはならない。だからこそ、「自生地そのものを守る」という発想に至ったんだと思います。
また、オーストラリアにある作品群についても、単に「日本人作家の作品」として紹介するのではなく、「なぜそこにあるのか」「そこに何が残っているのか」というストーリーで伝えていきたいと思っています。現地見学ツアーなどと連動しながら、もう少し広い形で発信していければと考えています。ロケーションとしては、ダーウィンから有名なカカドゥ国立公園へ行く途中にあるので、オーストラリアにある貴重な資源を知ってもらうため立寄ってもらえれば幸いです。
理想を言えば、この活動が単なる美術の話にとどまらず、環境や食、さらには人間のあり方そのものを考えるきっかけになればいいと思っています。米というのは、日本人にとっては当たり前の存在ですが、そのルーツまで遡って考える機会はほとんどありません。父はそこに疑問を持ち、形にしようとした。その問いをどう次の世代につなげていくか——。日吉の森庭園美術館という場を使って、その壮大な遺志を少しずつでも伝えていくことが、自分の使命なのではないかと思っています。

日吉の森庭園にて
【プロフィール】
田辺陵光さん
日吉の森庭園美術館 学芸員
神奈川県横浜市港北区にある「日吉の森庭園美術館」学芸員。地元で400年続く田辺家の14代当主として、同美術館を拠点に、原風景の保存・地域の歴史や収蔵する美術作品の案内、地域文化の講演活動などを行っている。彫刻家・田辺光彰氏の実子として、オーストラリア北部準州ダーウィン近郊にある未完の遺作を仕上げた(豪日交流基金)。

【田辺光彰氏 略歴】
彫刻家。1939〜2015。神奈川県生まれ。1961年 多摩美術大学彫刻科卒業。翌年、アメリカの彫刻家イサム・ノグチと出会い、影響を受ける。1971年から75年にかけて、南米、ヨーロッパ、アフリカ、中東など約50か国を巡り、異文化に触れる。1979年、第1回ヘンリー・ムーア大賞展(箱根・彫刻の森美術館)で、ジャコモ・マンズー特別優秀賞受賞。1980年代後半から野生稲に注目し、農学者・佐藤洋一郎氏と野生稲自生地保全の運動を始める。彫刻作品「MOMI」シリーズは、タイ王室などにも所蔵されている。2006年、オーストラリアのクイーンズランド州マリーバウェットランドにトカゲを模した「KADIMAKARA(爬虫類・MOMI-2006)」を設置して以降、10年以上にわたりオーストラリアの大地を舞台に作品づくりを展開した。北部準州ダーウィン近郊のマウントバンディーエリア玉石群に描いた彫刻作品群が遺作となった。

【取材協力】
日吉の森庭園美術館
彫刻家・田辺光彰の作品及び、その制作に影響を与えた収集品を常設展示している美術館。横浜・日吉の地で400年続く田邊家の邸宅と庭園を観賞することができる。敷地内に残る防空壕や土蔵、古井戸などを地元小学生に案内する授業なども行っている。利用の際は要予約。
